物語の後半部で、この事件の舞台が現地の部族に「死の山」と呼ばれていたことが示されている。登山キャリアがあったとはいえ、都会に暮らす学生が知らずに足を踏み入れた場所が、現地で「死の山」と口承されていた事実に、私はこの世とあの世に引かれた明確な境界線を思わずにいられなかった。

 現地に暮らす者が、すぐ傍らに誰もがそれと認める「死の山」が存在することと、よそ者がその事実を知らずに分け入り「死に至った山」。謎をそのまま謎として受け入れる姿勢と、すべての謎は明らかにできるという慢心にも似た思い込み。両者の認識の違いは、科学に信を置く我々に対して、どこかモヤモヤしたものをもたらす。

 その事実をもって、訳者がこの邦訳タイトルに違和感をそのまま反映させたのだとしたら、それが出版元の河出書房新社の思惑なのだとしたら、相当レベルが高く戦略的な販売戦略ではないだろうか。この1冊は、関係者各位の今年の勝負作とみて間違いない。

 ぜひとも本書に即した、原作に忠実な映像化をして欲しい。「事実は小説より奇なり」を地でいくものとなるだろうから。しかも、本書の内容は仮説のひとつに過ぎないのだ。真実と事実の間で懊悩するモヤモヤしたものを、本書を読むことでぜひとも共有して欲しいと思う。

 もしかしたら、この作品の仮説への反証をきっかけに、あなた自身が本事件の真相に関するひらめきを得るかもしれない。世の中は、たくさんの不確かな仮説に満ちている。そのことを知ることができる、なかなか得難い読書体験になるのではないだろうか。