私たちは日々、誰かと会話し、相手の話を聴く。たとえば、プライベートにおいて「一対一」で。会議の場において「複数人」で。フォーマルな場で壇上の誰かの話を「多人数」で。テレビに映ったコメンテーターの話を「一方的」に。状況はさまざまだ。 

 そのときどきで、面白い、面白くない、上手い、下手、納得、不満などの評価を、表には出さずとも胸の内で評価し、聴いた話に対して自分なりの何らかの見解をもつ。聴き手側は、日常的に行われるその「審査員」のような評価行為をあまり意識することはない。

 一億総評論家時代である。発言にも細心の注意を払わなければならない。だが、私は審査行為をする聴き手側の人々に対して、少々意地悪な質問を投げかけたい。

「聴き手であるあなたが、人前で話をするときの内容は、どれほどのものなのですか?」と。

 想像してみて欲しい。あなたが数百人は入る会場で、目の前に広がる人々を前に何かを話さなければならなくなったときのことを。聴き手たちの波のようにざわめく心のうちを。一転、評価される側に回ったあなたは、数百の審査員を前にどれほど「得点」を取ることができるだろうか。

 筆者は最近、人前で話す機会を何度か得て、上記のようなことを考えるに至った。それもひとえに、自分が他者の話に厳しい目をもつ審査員であるがゆえだろう。自分のそれまでの在り方を、反省したことは言うまでもない。

 加えて、性格的に、何日も何週間も、ひどい時だと何カ月も前から多大なストレスを感じる性分である。審査員の方がたに、なんとか高得点をつけて欲しいと願う私が、人前で話すための対策をあれこれと考え、結果たどり着いたのは、「深夜ラジオ」を参考にすることだった。まったく関係ないように思えるが、これが大いに役に立ったのである。