教師が絶対的な権力を持つ学校で起きる性犯罪「スクールセクハラ」の実態を浮き彫りにした執念のドキュメント『スクールセクハラ』。この本を著者がなぜ書こうとし、編集者がなぜ作ろうとし、書店員がなぜ売ろうとしたのか。その三者の思いをお伝えする。文庫化にあたって解説を依頼しようとした編集者の躊躇とは・・・。(JBpress)
池谷孝司さんに最初にお会いしたきっかけは、2009年刊行の『死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人』を読み、感銘を受けたことだった。しばらくして「スクールセクハラについて地方紙で連載を始めました。本にしますか」というお話をいただき、記事を読んだ。
『死刑でいいです』のときと同じくらいの熱量と執念を感じる原稿だった。声なき人に寄り添うからこそ書ける内容、そして丁寧な取材の積み重ねがあるからこそ見えてくるスクールセクハラの構造に怒りを覚えた。
「ぜひ書籍化させていただきたい」とお願いし、連載に大幅に加筆する形で2014年に単行本『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』を幻冬舎で刊行した。さらに2017年には文庫を刊行した。
私自身の本書に対する「思い入れ」は、1年半前に送ったあるお詫びのメールが的確に表現していると思うので、その経緯と内容を紹介したい。
本書を文庫化する際、アナウンサーを経て今はエッセイスト、小説家として文筆活動をされている小島慶子さんに解説を依頼した。それまでに仕事をご一緒したこともあって、小島さんは本を読むことなく即断で引き受けてくださった。
ところが。締め切り直前になって電話があり、本書を読んだ結果、解説は書けそうもないとおっしゃった。