思い出の喪失
所長は真面目な顔になり、私の目を見つめ、話し始めた。
自分たちは、水没者たちに川治ダムの必要性を説明してきた。彼らはダムの必要性を納得して、補償金額にも合意した。代替地での新しい生活も次第に具体化してきて、未来の希望も見えてきた。でも、水没者たちは寂しくて、辛いのだ。
何が寂しいか。それは、自分たちの思い出が消えてしまうことだ。生まれた家、育った学校、遊んだ小川、結婚式を挙げた神社。全ての思い出がダムの底に沈んでしまう。
国は水没者の家屋や土地には補償する。しかし、人々の思い出や村の思い出に対しては補償できない。その思い出の喪失を償うため、現場の我々が水没者の話を聞き、水没者の気持ちを受けとめて、新しい生活のため、新しい思い出を創っていくための生活再建の相談に乗る。
その場には酒が出る。出てきたお酒は快く飲む。酔って自分の人格も表に出す。そうしないと水没者たちは信用してくれない。もちろん、酒に飲まれるようでは論外だ。
建設省の自分たちを信用して初めて、彼らは将来の生活再建の本音を話してくれる。そこで自分たちダム事業者が、やるべきことが見えてくる。彼らと愉快に笑って酒を飲む。しかし、心の中は静かにして、彼らの言葉に耳を傾けている。
所長はそのようなことを、過去のダムの建設の思い出話も含めて繰り返し語ってくれた。