その間も、西久保は増資を引き受け続けた。さらには自らが経営していたゼロ(旧マスターネット)のプロバイダー事業を売却し、キャッシュリッチになったゼロをスカイマークに吸収合併させた。自分が持てる資産のほとんどをスカイマークにつぎ込んでいったのだ。
一方でスカイマークは、たびたびトラブルを引き起こしていた。
ボーイング社が定めた修理期限を9カ月も過ぎた機体を飛ばしていることが発覚したり、飛行中に操縦室内で乗務員が記念撮影をしている事実が明るみに出たり・・・。そのたびに同社は「安全性を軽視している」などと世論の厳しい批判を浴び、西久保ら経営陣が参考人として国会に呼ばれることもあった。
「国会に呼ばれたりマスコミに叩かれたりしましたが、それらを含めた社外の問題は僕の仕事の2割くらい。それよりも残り8割の会社の中の問題のほうがはるかに厄介でした」
「エアバスA380の導入計画は自分のミス」
人事や給与体系で大ナタを振るう西久保のやり方に付いていけない社員は次々と会社を去っていったが、あまり気にならなかった。残った人材のほうがはるかに質が高いと感じていたからだ。
そして、機内サービスの簡素化など、大手とは一線を画する戦略が奏功し、業績は上向き始める。2011年3月期はおよそ110億円の経常利益をマーク。翌2012年3月期はさらに伸びて157億円を記録した。
その余勢を駆って打ち出したのが、エアバス社の超大型旅客機A380の導入計画だった。世界最大の旅客機を6機、カタログ価格ベースで計1150億円にも上る大型投資計画だった。後に、支払いの見通しが立たずに導入を見送ったことで、エアバス社から巨額の違約金を求められ、スカイマーク破綻のきっかけになってしまうプロジェクトだ。
「あれは完全な失敗でした。もともと僕の発案でしたが、プランの段階で止めておくべきでした。
僕はかなり手荒な社内改革をやって、それから会社が上手くいきだしたわけです。そうしたら、社員がほとんど僕に逆らわなくなってしまっていた。社長を辞めてから気が付きましたが、僕はその時点で『裸の王様』になっていたんです。
会社が順調な時には、周りが従順な人間ばかりになっていることに気が付きにくい。物事がすんなり進んでいきますからね。だけど、これも後から気づいたことですが、そのうちに実態とは違う報告が上がってくるようになっていた。『順調に行っています』なんて言っているのに、実はある部分についてはトラブルが起きていたり。
A380の導入を言い出した時も、誰も反対しなかった。『それは素晴らしい。絶対いけますよ』なんてね。気づかなかった僕のミスです。後から考えれば、リスクも多いし、僕らにこなしきれる仕事ではなかったんです」