一般的にヨーロッパ人は、「古代ギリシアが民主主義発祥の地だ」と考えています。
例えば、ヨーロッパ中世史家として世界的に有名なフランス人ジャック・ル・ゴフ(1924~2014年)は、「ギリシアの遺産としてはなによりも、民主主義(民衆の統治という意味)、都市国家の市民の法の前での平等、および公務参加の平等への希求があります」(ジャック・ル・ゴフ著、前田耕作監訳、川崎万里訳『子どもたちに語るヨーロッパ史』、ちくま学芸文庫)と語っています。
こんな記述を読むと、「ル・ゴフは、古代ギリシアに多数の奴隷がいたことや女性に参政権がなかったことを忘れている」と反論したくなります。あまりに古代ギリシアの民主主義をたたえすぎの彼の見方は「ヨーロッパ中心史観」そのもので、私としてはちょっと支持し難いものです。
しかし、日本人の間でも、ル・ゴフのような考え方は決して珍しいとは言えません。
例えば今回取り上げるアレクサンドロス大王(前356〜前323年 在位336〜323年)の遠征もそうです。日本では、その意義があまりに過大評価されているように思われてならないのです。
マケドニアとは?
「マケドニア」という名称は、今日のギリシア人にとっても、大きな意味を持っている言葉です。つい先日も、旧ユーゴスラビア連邦から「マケドニア共和国」が独立しようとしたときに、ギリシア人はその国名の使用に大反対しました。そのため「マケドニア共和国」は、「北マケドニア共和国」という名称を使うことが両国間で合意されたほどです。
このことが実に奇妙なのは、古代ギリシアでは、マケドニアはギリシアポリスとして認められていたものの、軽蔑の対象であったということです。
世界史の授業で教わった記憶があると思いますが、古代ギリシア人は自らを「ヘレネス」と呼び、それ以外の人々を“野蛮人”を意味する「バルバロイ」とさげすんでいました。