マケドニアも、ギリシアポリスに属していたものの、「ヘレネス」ではなく「バルバロイ」と呼ばれていました。したがって、「マケドニア」とは、決して良い意味で使われてはいなかったのです。
拡大画像表示
ところが、マケドニアの王・アレクサンドロス大王が大遠征をおこなったという理由で、「マケドニア」という国名は現在のギリシア人にとって誇らしい言葉に変わってしまったのです。ギリシア人の対応は、あまりに現金と言われても仕方ありません。
ご存知のように、古代ギリシアのポリスとして有名なのは、アテネとスパルタでした。そのアテネとスパルタの位置を考えると、【地図1】からわかるように、マケドニアは随分と奥地にあります。マケドニアがバルバロイと呼ばれたのは、おそらくそれが大きな原因でしょう。
アレクサンドロス大王の人物像
アレクサンドロス大王の「偉業」とされるのが、彼の東方遠征です。
ギリシア都市国家群の中でも、辺境の地にあったマケドニアの王はなぜ東方遠征を志したのか、なぜはるか遠いアジアまで行こうとしていたのかは、実はよく分かっていません。
理由の一つと考えられているのは、たびたび古代ギリシアを脅かしてきたアケメネス朝ペルシア(前550〜前330年)の打倒という古代ギリシア全体の悲願の存在です。大王の父で、カイロネイアの戦いに勝利し全ギリシアの覇権を握ったフィリッポス2世(在位 前359〜前336年)も、東方の脅威を取り除くためにペルシア遠征の夢を持っていました。アレクサンドロス大王はその遺志を受け継いだのだと言われています。
ただアレクサンドロス大王は、それらの夢を実現しようとしただけではなく、何か得体の知れぬエモーションに突き動かされて、東方遠征をしたのだと私には思えてなりません。それは「征服欲」です。ギリシア人の征服欲は、決して悪くは言われないのも不思議です。