征服欲は旺盛だった大王ですが、その後の統治システムを考えていた形跡は見受けられません。だとすれば、帝国を維持するシステムとしては、明らかに古代ギリシア人のものよりペルシア人の方が優れたものを持っていたと言えそうです。
さらに、一般にアレクサンドロス大王がつくったと言われる「ヘレニズム文化」にしても、その代表的文化と言えるガンダーラ美術は、ギリシア、ローマ、イランの美術様式が用いられており、前述の森谷氏によれば、現在の研究では、ギリシアではなくローマ起源の文化とされているそうです。
また、アレクサンドロス大王は、統治者としては有能ではありませんでした。
遠征中には大王の暗殺計画があったと言われていますが、もし長生きしたとしても、恐らく暗殺されていたのではないでしょうか。というのも、彼のとりとめもない領土拡大の野心に、人々が付いて行けたとは思えないからです。
歴史上でもビジネス上でも、一見華々しい活躍をした人物のことを私たちはついつい過大に評価しがちです。しかし輝かしい成功をたった一人の人物の功績に帰すことは、それ以前の長い蓄積や周囲の状況、さらにはその後の展開を無視してしまうことにつながりかねません。
「英雄史観」の危険性はそこにあります。1人の人物を評価するときには、その業績だけを見るのではなく、その業績が生み出された周囲の状況や周辺の人物の功績にも目を配らないと、正しいジャッジはできません。それができないと、「特異なキャラクターの人物」を「完全無欠の英雄」として祭り上げてしまうことにもなりかねません。
古今の歴史の中でその最大の典型が、アレクサンドロス大王なのかも知れません。彼が明確に示したのは、ギリシア文化の優位性ではなく、むしろオリエント世界の大きさではなかったのではないかと思うのです。