第二次上海事変開戦時に前線となった八字橋の現在。台風の日に筆者撮影

 筆者が暮らす中国・上海市に住んでいる在留邦人数は、現在4万4387人(平成29年版外務省海外在留邦人調査統計より)を数えます。この人数は米国・ロサンゼルス、タイ・バンコク、米国・ニューヨークに続き第4位となっています。近年は減少傾向にあるものの、依然として多くの日本人が生活する世界有数の都市となっています。

 そんな上海市で約80年前の8月から10月にかけて、日本軍と中国軍が市内のど真ん中で激しい市街戦を繰り広げました。その歴史を知っている日本人はあまり多くないのではないでしょうか。

 そこで今回は、日中戦争の全面戦争化の契機ともなった「第二次上海事変」(1937年8月13日~10月26日、中国名:八一三事変)について、その経緯と影響を紹介したいと思います。

列強に分断統治されていた上海市

 第二次世界大戦以前の上海には、それまでの列強による侵略や不平等条約の影響から、中国国内の他の都市と同様に、特権的外国人居留地である「租界」が存在しました。イメージとしては、中国返還以前の香港のような場所です。各租界では中国の法令は適用されず、治安を含めて租界を管理する国々によって分断統治されていました。ある意味、小規模な独立国が中国に点在していたようなものです。

 上海では、フランスをはじめ日本や英国、米国など多くの列強各国がそれぞれ租界を有していました。そのため上海は、各国からやってきた多くの国々の人間が共に生活するなど世界屈指の国際都市となっていました。

 なお、日本の租界は現在の上海市虹口区周辺にありました。現在もそこを訪れると日本にあるような瓦屋根の建物を見ることができます。