前回、学位と待遇の話を、「働き方改革法案」が佳境に差しかかったタイミングでリリース、それに関連するリアクションをいただきました。
「高プロ」に踏み込むだけの準備が整っていませんので、ここでは言及を避けますが、一般に民主主義体制の下での法制度は、力あるものの行き過ぎにストップをかけるのが大前提とは言えるでしょう。
すなわち、憲法は国権の暴走を未然に阻止するのが主要な役割で、それが機能しなくなると欽定憲法の統帥権独立やナチスドイツの全権委任法のように、とんでもない影響を及ぼしかねません。
今回の法案には、基本的に上位に立つ雇用者側に有利と思われる内容も含まれてるように見受けられ、その暴走を懸念する声があるのは十分理解できることでもあります。
反面、例えば「学歴」だけあって、中身がないような雇用で、無駄に人件費が出て行くというような事態があれば、全く感心できません。
業務の内容が、例えば「封筒貼り」のように、経歴や資格、判断力や実行力とあまり関係がない作業であれば、キャリアによって俸給が異なることに、疑義があっても当然でしょう。
そういう観点から、両刃の剣としてのキャリアと待遇を、もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。
業績とは何か?
初めに、やや結論めきますが、いま修士なり博士なりの学位を持った人と会ったとして、「その人の「学位の仕事」は何か?」と訊ねて、比較的短く答えが言えれば、その人は本物である期待が高いと思っていい。
このような経験則の判断基準、一種の人材リトマス試験紙のようなものを記しておきましょう。
1990年代以降の大学院重点化で、修士以上の学位を持つ人の頭数だけは急速に増えました。しかし、指導体制が整わないまま、拙速な制度改変があったため、初期は顕著に、また現在でも、かなり混乱が見られるのは否めない事実です。
いま現在、修士や博士課程に在学して「テーマが決まらない」とか「論文が書けない」という人が普通にいます。