じっくり観察することで、個々の特徴が見えてくる。

 小学生の頃、協調性の乏しい私にほとほと手を焼いていた担任教師は、とうとう私をののしるようになってしまった。それを察して、父が初めて保護者面談に赴いた。そして、私の問題行動を指摘する担任に言った。「それは息子の長所です。どうか長所をつぶさないでやってください」と。

 短所としか思えない私の行動を「長所」と言われて、担任はキョトンとした。父は続けた。「世の中には、たった一人で孤独にこなさねばならない仕事がたくさんあります。ダムの保守点検、夜のビルの管理。息子は孤独に強い。孤独に強い人間がそうした仕事につかなければ、社会は回っていきません」。

「協調性を重んじる気持ちも分かりますが、社会はいろんな人間を求めています。もし協調性の高い人間ばかり育てて、みんなが孤独を嫌がるようになったとしたら、誰が孤独な仕事を引き受けてくれるでしょう? そうなれば社会は回りません。息子のように孤独に強い人間も、社会は必要としています。だから長所をつぶさないでください」

 短所としか思えなかった私の特徴を「長所」と説明され、驚いた担任は、クラスの中の問題児と感じていた子についても相談し始めた。欠点だとばかり思っていたことが、全てその子の「特徴」であり「長所」であるという話に驚き、相談を次々重ねるので面談は1時間超に。廊下に何人も待つ親御さん。

 次の日から、担任の私への接し方が変わった。無理に私をクラスのみんなと協調させようとせずに、私を注意深く観察するように。そして無理強いではなく、自然に心に届く声かけがなされるようになった。すると興味深いことに、協調性のなかったはずの私が、自然とクラスに馴染めるようになっていった。

 マラソン大会で母を見かけた担任。近くに駆け寄り、「お父さんは心を2つも3つも持った方ですね!」と感動をこめてお礼を言った、と、あとで母から聞かされた。その後、両親の仕事の関係で引っ越しが決まり、学年の途中で転校することになると「せっかく篠原くんのことが分かりかけてきたのに」と残念そうに母に語ったという。