「できる」という実感がわかなければ、成長は難しい。

「うちの子、学年最下位なんです」

 相談を受けたときは、当然、割り算ができないのだろうと思っていた。経験上、公立中学で学年最下位レベルの場合、分数はおろか割り算もできないことがほとんどだからだ。

 ところがその子は分数が理解できていた。分数ができるのに成績最下位という、初めてのケース。

 これで成績がひどいというのは合点がいかない。成績表を見せられたが、そんなのは役に立たない。実際にその子がテストにどう答えたか知りたい。そう思い、定期テストの答案を持ってきてもらった。すると、どうやら原因がつかめてきた。恐ろしくスペルミスが多いのだ。

「1」と「7」と「9」、また「6」と「0」が区別できない。濁点があったりなかったりするので、「か」と「が」が区別できない。送り仮名は、省略したりサービスしたり。漢字もおおよその形は合っているのだが、棒の数がその都度まちまち。選択問題でアとイのどちらを書いているか判読できない。字をキチンと書けないのだ。

 それを指摘すると「あ、そうだね、でも分かっているし、大丈夫大丈夫」と全く気にしていない。気になって本人の様子を観察すると、実に落ち着きがない。話し合っている途中でもシャーペンをクルクル回し、落としたら即座に取りに行こうとして椅子をバタン。典型的な多動症だった。

 この子は理解する力に問題はなかった。しかし多動であるためか、細かいミス、オッチョコチョイが多く、それを気にしない習慣が身についていた。せっかく正解にたどり着いているのに、「1」なのか「9」なのか分からない字を書くからバツを食らっていた。学年最下位というのは、採点者が「なんと答えたのか分からない」からだった。

 これは本人にとっても不幸だった。理解できているのに、スペルミスだったからバツだったのか、理解できていないからバツだったのか、本人も区別できていなかった。このため、自分は着実に成長できているのか、という自己効力感(Self-efficacy)が全く得られない空回りが続いていたようだった。