筍(タケノコ)。タケの地下茎から生じた若芽・写真のような太いものはモウソウチク。

 筍(タケノコ)の旬は春。青果店では、段ボール箱にどっさり入った生の太いタケノコが売られている。茹でてあく抜きして短冊切りにし、菜の花とともにさっと煮たり、お米と混ぜて炊いたり。だしが染み通る一方で、歯応えはしゃきっ。春を感じる人もいるだろう。

 日本人の食におけるタケノコも、日本の風景におけるタケも、当然の存在であるように感じられる。だが、日本で主流のタケの種は、江戸時代に大陸からやってきた外来種。食材としてのタケノコが全国的に広がったのも、江戸時代以降。ずっと古くから日本人とタケやタケノコは親密な関係にあったわけではないのだ。

 近年では「竹林放置」の問題も叫ばれている。現代のタケは、タケノコという美味をもたらす恵の源であるとともに、周りの木々を侵す環境問題の源でもある。二面性を持たされているのだ。

 今回は、タケノコを主な題材に、日本人とタケの関係を眺めてみることにした。前篇では、日本に「タケノコを食べる」ということがどう普及していったのかを追っていく。江戸期のモウソウチクの輸入は大きな契機であり、食の恩恵と自然環境の問題の両方をもたらしたのである。

 では、放置竹林による山林荒廃の問題に対して、打つ手はないだろうか。後篇では、国産「乾タケノコ」という新しい産業の可能性に着目してみたい。その第一人者に話を聞いてみよう。

記紀の時代から食べられていた

「竹(たけ)」の語源ははっきりしないが、成長するタケノコの勢いのよさを表す「猛(たけ)る」の語と関係があるともされる。タケの特徴はタケノコにありといったところか。