早いもので明日28日で2月は終わり。あさってからは3月だ。
3月といえば雛祭りだろう。17世紀から全国レベルに拡がった年中行事である。現在では太陽暦の3月3日に設定されているため季節感がはっきりしないが、そもそも桃の節句と呼ばれるのは、旧暦の3月3日頃が、桃の花が咲く時期にあたっていたからだ(暦については、前回のコラム「『春節』を祝わない日本は不思議な国なのか?」を参照)。
雛祭りには雛飾り。雛壇の最上段にはお内裏(だいり)様とお姫様。三人官女と五人囃子があって、その下の4段目に左大臣と右大臣が配置される。左大臣は正面から見て右側に、右大臣は左側になる。左大臣が向かって右側に置かれるのは、見る人の立場と、人形にとっての立場が逆になっているからだ。
面白いことに、平安時代以来の日本の官職では、左大臣のほうが右大臣より位が高かった。漢字熟語だと「左右」というように左が先に来る。もともと漢字文明圏では、左のほうが右より優位にあるとみなしていたのだろうか。
さて、日本では左側交通が交通規則として定められている。ところが、漢字文明圏では、中国でも台湾でも、韓国でもベトナムでも道路交通は右側通行となっている。左側通行は日本と香港くらいのものだ。となると、道路交通のルールは一体なにを根拠に決められて定着したのだろうか?
今回は、道路交通に関する右側交通と左側交通について、歴史的経緯を踏まえて考えてみたい。