植民地支配と道路交通規則の関係

 道路交通規則の現状がどうなっているか、まずは身近なアジア地域から見ていこう。西欧列強による植民地支配と密接な関係があることが分かるはずだ。

 中華文明圏のベトナムが右側通行なのは、ベトナムが、ラオスとカンボジアとともにフランスの植民地になっていたからだ。いわゆる「仏領インドシナ三国」である。大日本帝国による占領時代を除いて、1887年から1954年までフランスの統治下にあった。

 植民地では「文明」の名のもとに本国の制度がそっくりそのまま導入されていた。社会インフラや社会制度が本国の制度にならって導入され、その結果、植民地においては近代化イコール西欧化となった。

 中国が右側通行に統一されているのに香港が現在でも左側通行なのは、香港が「アヘン戦争」(1840年)以来、英国の植民地だったからだ。英国は左側通行である。1997年の「香港返還」後も、「一国二制度」のもと(タテマエとはいえ)香港の自治が50年間維持されることになったため、社会インフラに関しては返還前の制度がそのまま維持されているのだ。

 東南アジアのシンガポールやマレーシアも左側通行だ。いずれも「英領マラヤ」として大英帝国の統治下にあった地域である。植民地支配は18世紀から20世紀まで約2世紀に及んでいる。ブルネイもまた左側交通なのは、同じ理由だ。

 インドネシアとマカオも左側通行である。インドネシアとマカオは、それぞれオランダとポルトガルの植民地だった。オランダとポルトガルは右側通行の国だが、かつては両国とも左側通行の国であった。

 南アジアでは、インドとパキスタン、バングラデシュ、ネパールとブータン、そしてスリランカが左側通行である。これらの国々が英国のインド植民地だったからだ。鉄道の軌道に関しては「分割統治策」の観点から統一させなかった英国だが、植民地時代はモータリゼーション以前であり、左側通行がそのまま残ったということだろう。