カロリーを稼ぐコメ、麦、トウモロコシといった基礎食糧は、ちっとも儲からないのだ。しかしそれを作らないことには、国民が飢えてしまうのも事実だ。

 だから、アメリカやフランスがそうしているように、基礎食糧を生産する農家には、生活を保証する何らかの補助が必要なのだろう。これらの国では所得補償を行っている。日本も何らかの手だてを打たないと、「命に関わるけど安くしか売れない」基礎食糧を生産する農家がいなくなってしまう。

 ここで、私が何度も農家から聞いた言葉を紹介したい。「こんなにコメが安くっちゃ、食っていけない」という言葉だ。

 私はなんとも、パロディめいたものを感じた。だって、食べるものを作っている農家が「食べていけない」なんて、おかしいじゃないか。

 理由を聞くと、納得できた。教育や医療に現金が必要なのだ。子どもを学校に行かせたい、おじいちゃんおばあちゃんを病院に行かせたい、そう思っても、コメが高く売れないと現金が手に入らず、ままならなくなる、というわけだ。

 ならば、基礎食糧を生産する農家は、教育と医療がタダになれば、話が違ってくるかもしれない。たとえコメが高く売れなくても、子どもの教育と親の医療や介護に心配がないなら、現金がさほど必要でなくなり、食糧も自分で作れるわけだから「食べていける」職業に変わるかもしれない。

 つらつらとりとめのないことを書いたが、経済のフシギを考える上で、農業というのは格好の考察対象だ。

・「命に関わる」商品は市場原理に乗せると安く買い叩かれる運命にある。
・市場原理に乗せても無茶なことにならないのは「命に関わらない」商品だから。
・世界一の農業国、アメリカでさえ農業はGDPの1%強。
・農業のGDPに占める割合が大きくなると、エンゲル係数が高くなって国民の生活が苦しくなる恐れがある。
・他産業が元気で、農業もGDPに占める割合が一定の範囲で元気なのが望ましい。
・基礎食糧を生産する農家は儲からない経済的宿命を背負っているので、何らかの手だてが必要。
 

 こうした基礎条件を備えていることを踏まえた上で、農業での「働き方」を考える必要があるだろう。また、農業から見えてくる経済のフシギを踏まえると、ビジネスのあり方を見つめ直すきっかけにもできるかもしれない。