嫁さんは子どもへの接し方が非常にうまいのだが、2人目が生まれた頃、もう少しこうした方が・・・と思った時期があった。そこで「こう接したほうがいいと思うよ」とアドバイスすると、「分かってる。でもうまくいかないの」とションボリしていた。
伝え方が悪かったと思って、しばらくたってから別の形でアドバイスした。すると今度は「分かってるの。でもどうしてもうまくやれないの。どうしたらいいの?」と泣き出してしまった。
一晩考え込んで、翌日、私は次のように嫁さんに伝えた。「君は本当によく頑張ってる。これ以上はないほどに。すごいよ。僕だったらとても無理だ。本当にありがとう」。すると翌日から、嫁さんの子どもへの接し方が元に戻り、とても上手になっていた。
後で嫁さんから教えてもらった。「頑張ってる、って言ってくれたでしょ。そのおかげで、そうか、私頑張ってるよね、これ以上頑張れないほど頑張ってるんだよね、と思えるようになった。それまで私は、なんでもっと頑張れないの、と自分を責めてた」。
泣いてわめいて、決して大人のペースで動いてくれない頑是(がんぜ)ない子どもを相手にするには、心にゆとりが必要だ。嫁さんはそのことに気が付き、「目いっぱい頑張ってしまうと、子どもを笑って受けとめる余裕を失ってしまう。申し訳ないけど、家事の手を抜かせて。育児を優先させて」と私に提案してきた。文句あるはずもなかった。
頑張りを心の底から承認する
実は、最初の2回のアドバイスでも、「家事はもっと手を抜いたらいい、子どもとの接し方を変えるには余裕を持たなくては」と伝えていた。しかし嫁さんの心に響くどころか、嫁さんには責める言葉にしか聞こえなかった。家事も育児もしっかりこなしたい。しかしそれができない自分にいら立ち、それを指摘した私の言葉は、追い打ちをかけるだけになっていたのだ。
私は肝心な言葉を伝え損ねていた。「君はもう、これ以上無理というほどに頑張っている」と。この言葉を伝えないままでは「もっと頑張れ、できないのは努力不足か無能だからだ」と、心にこだましている声をもっと強めてしまうだけに終わるのだ。
頑張りを心の底から承認すると、「そっか、私は限界まで頑張っていたんだ。これ以上頑張っても空回りするだけ。力こぶの入れ所を冷静になって考え直そう。考えるための余裕を取り戻そう」と思えるようになるのだ。