参事として常滑市役所に赴任した山田氏は、瀕死の状態の市民病院を再生するミッションに着手する。

 だが、常滑市では新病院建設の計画がすでに何度も立ち上がっていたものの、その度に延期され、関係者の間で諦めムードが漂っていた。挙句の果てに県庁の職員からは「ゲームオーバーです。みんな『潰しモード』に入っている」と告げられる。

「100人」の心が一つに

 そんなどん詰まりの状況から、山田氏はどうやって新病院を建設し経営をV字回復させたのか。

 まず、財源の捻出に大きく寄与したのが、事業仕分けと職員の給与カットの断行、交付金の獲得などである。「愛知県の医療界の最大実力者の1人」の協力を得られたことも大きな支えとなった。

 さらに、市民や病院スタッフ、市議会議員たちを団結させ、新病院建設への大きな推進力を生み出すことになったのが「100人会議」の実施だった。

 100人会議は、山田氏が <常滑市民に市民病院の『オーナー』である意識をもってもらい、その行く末を決めてもらう> ためにスタートした。参加者は、無作為抽出公募と自推公募の一般市民、そして行政職員と病院職員を加えた約100人である。会議は5回開かれ、市民と行政と病院が対等の立場で「本当に病院が必要なのか」「どんな病院を作るのか」などについて話し合った。ファシリテーターは山田氏が務めた。

 当初、参加者たちの大半が新病院の建設に反対し、「市民病院は不要」と考えていた。それが回を追うにつれて、「どうしたら存続できるのだろう。問題は何なのか。どうしたら解決できるのか」と変わっていき、最後は「経営改革を前提に新病院を建設しよう」と心が一つになる。