塵劫記顕彰碑(常寂光寺)(ウィキペディアより)

吉田光由の挑戦状?『新篇塵劫記』(1641年)

前回は『塵劫記』の魅力と著者・吉田光由を紹介しました。

 実に多くの実用問題・数学パズルそして見事なイラストの豊富さといった『塵劫記』の特徴は、数学入門書として子供から大人まで数学の大衆化に貢献しました。

 全国で次々と海賊版『塵劫記』が出されるなか、寛永18(1641)年、吉田自身による刊行が最後になる『新篇塵劫記』が世に出ます。

 吉田はこの本の巻末に答えのない12の問題を提示します。吉田は次のように述べています。

 「・・・簡単に云わんとする所を書けば、世の中にはさほど数学の力もないのに塾をつくり、多数の人を教えている人がいる。教わる人から見れば、自分の師が力があるかどうかわからないだろう。そろばんの計算が速いからといって数学の力があるとは決まっていない。ここに法(答えまでの道筋)のない十二問の問題を出しておくから、これで自分の師を試してみればよい」

 和算における答えのない問題は遺題と呼ばれます。言うならば遺題は作者から読者への挑戦状です。

『新篇塵劫記』の遺題
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 この中で難問が第十問(上図、左から2番目)です。

 「直径が百間の円形の屋敷を、図のように、平行な二本の弦によって分割し、三人にその面積が二千九百坪、二千五百坪、二千五百坪になるように分けたい。このときの弦の長さ及び矢の長さを求めよ」

 この問題を解くには四次方程式を解くことが必要とされ、当時では誰も解けない問題でした。

 このように答や法を示さない遺題ははその後の数学者に大きな影響を及ぼすことになります。こぞって遺題の解答を発表し、さらに自らも遺題を発表することが流行っていったのです。