韓国憲法裁、朴槿恵大統領の罷免を宣告

韓国・ソウルの憲法裁判所前で、朴槿恵大統領の罷免宣告を喜ぶ人々(2017年3月10日撮影)〔AFPBB News

 2017年3月10日、韓国の憲法裁判所は、朴槿恵(パク・クネ=1952年生)大統領に対する弾劾訴追案審理で全会一致で罷免する決定を出した。大統領はこの瞬間、失職した。

 父親である朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が部下の銃弾に倒れてから38年。娘である朴槿恵氏も任期途中で青瓦台(大統領府)を去ることになった。

 「ワォ!司法には正義があった!」

 この日午前11時20分過ぎ。憲法裁判所で「罷免」決定が出ると、ソウル市内の韓国の大企業では、テレビを見ていた若い社員から歓声が上がった。

通常と変わらず静かな明洞

 それから1時間半ほど過ぎた午後零時半過ぎ。ソウルの中心部にある繁華街、明洞(ミョンドン)は普段とまったく変わらない様子だった。

 暖かい春の日差しの中、周辺の会社に勤務する人たちが昼食を済ませて帰る姿はまったくいつもと変わらない。特に「罷免」に反対や賛成を声高に話す姿も見られなかった。

 もちろん一部、朴槿恵氏の支持者は強く反発している。憲法裁判所周辺では、「罷免」を認めないデモ隊が激しい抗議活動を続けて、死者はけが人も出ている。だが、罷免を予想する声が圧倒的だったためか、すくなくとも直後のソウル中心部は平穏だった。

 この日の韓国株式相場は、不安感が広がる中で取り引きが進んだが、結局、小幅に反発した。韓国総合株価指数(KOSPI)の終値は前日比6.29ポイント(0.30%)高の2097.35と、約1週間ぶりの高値だった。

父親に次いで青瓦台を途中退出

 1979年11月21日、朴槿恵氏は、長年住み慣れた青瓦台を去った。多くの見送りを受けて車に乗り込む姿は、「歴史的写真」として有名だ。

 この約1ヶ月前の10月26日、父親である朴正熙氏は、部下のKCIA(韓国中央情報部)部長の銃弾に倒れて、在任中に死去した。それから38年、朴槿恵氏は、韓国の歴史上初めて弾劾、罷免された大統領になってしまった。

 準備が出来次第、青瓦台を離れることになる。

 筆者は、朴槿恵氏には何度か会ったことがある。

 10年ほど前。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で野党だったハンナラ党の代表だった朴槿恵氏と、夕食を一緒したことがある。韓国紙の記者数人と一緒だった。

 何を聞かれても嫌な顔ひとつせず、すらすら答える。外交安保、経済、社会・・・幅広い事項にも、饒舌に自分の考えを熱く語る。

 特に、当時の盧武鉉政権に話題が及ぶと、激しい口調で批判をまくし立てた。

 1997年に政界入りして以来、政策の準備はかなり重ねているという印象だった。また、きわめて「強い性格」であることもよく分かった。

 「だが・・・」

 どうもストンと落ちてこない。何か、話がうまくかみ合わないのだ。「何だろうか」。話している途中で気がついた。

どうして政治家になったのか…

 「どうして政治家になったのだろうか・・・」

 話を聞けば聞くほど、こういう疑問が沸いてきた。

 細かい政策については、よくしゃべるのだが、「どんな指導者になりたいのか」「韓国がどんな方向に向かえば良いのか」という話題になると、「あれ?」と思わせる内容になるのだ。