有名な事例は社会学者リチャード・ティトマスが1970年出版の書籍 "The Gift Relationship" で提示した献血に関する研究だろう。ティトマスは血液の売買が広まると、無償で血液を提供しようという意欲が減退し、利他的精神の発現が抑制されると喝破した。

 同様のことは夫婦についても言える。相手への愛情・信頼という利他的精神で結びついている夫婦関係を家事労働への対価支払いという「契約関係」に還元してしまうと、夫婦による自己利益の追求が本来存在した愛情・信頼をクラウディングアウトしてしまう。

 人気を博したTVドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の悲喜劇はまさにこの点を描写している。契約結婚を扱ったこのドラマの中で、恋愛音痴の夫は「システムの再構築(契約更改)」で愛情・信頼関係を醸成しようとするが、それがかえって妻の心を遠ざけてしまう。自分たちの存立基盤である契約を破棄して初めて、真の夫婦になるというオチである。

 話を業績連動報酬に戻そう。クラウディングアウト効果は、道徳心と利己心が「別腹」でないことを含意する。そのため、報酬ポリシーに甘いアメを書き込めば書き込むほど、経営者の道徳心が蝕まれ、自己の利益に抜け目ない経営陣が増えていく。

「良いガバナンス」の先進国である米国では、負の側面が既に顕在化している。例えば、CEOの変動報酬比率(CEO報酬の中で賞与や中長期インセンティブ報酬が占める比率)が高まると、環境配慮を始めとしたCSR活動に熱心でなくなり、ステークホルダーが疎外されることが実証分析で観察されている。社会規範が後景に退き、取引が行動原理になるという点は、ドナルド・トランプの出現と重なる部分があり興味深いが、業績連動報酬の副作用はこれにとどまらない。