2016年12月9日、韓国国会は朴槿恵(パク・クネ=1952年生)大統領に対する弾劾訴追案を圧倒的多数で可決した。この日の夜、大統領の職務は停止になり、大統領府(青瓦台)で憲法裁判所の罷免是非の判断を待つことになる。
「血の涙が出るというのはどういうことかと思っていたが、今やっとその意味が分かった」
12月9日午後4時過ぎ、国会で弾劾訴追案が可決になると朴槿恵大統領は閣僚懇談会を開き、こう話したという。弾劾に追い込まれる事態になったことを謝罪し、閣僚のこれまでの仕事ぶりをねぎらった。
18年周期
韓国メディアによると、大統領は「血の涙」に言及し、一部閣僚は涙を浮かべたという。
大統領の心情を察するに、こういう言葉も出ることは分からなくはないが、圧倒的な韓国の国民は、「大統領はまだ事態の深刻さを理解できないのか」と同情する声はほとんど聞こえない。
「18年周期の悲劇」
韓国では、朴槿恵氏の人生についてこんな言い方をすることが多くなった。
18年周期とは何か。
1961年~1979年
1980年~1998年
1998年~2016年
この3つの周期のことだ。
1961年~1979年の18年間、朴槿恵氏は、「大統領令嬢」として過ごした。1974年までは両親の寵愛を受け、母親がこの年の独立記念日式典で在日韓国人が発射したピストルの銃弾にあたって死亡してからは「ファーストレディー」として父親を支えた。
私生活で母親を失うという悲劇はあったが、この期間は「権力者」として過ごした期間だった。
1974年に母親が死去したあとに、 崔順実(チェ・スンシル=1956年生)氏 の父親である「自称牧師」の崔太敏(チェ・テミン)氏が朴槿恵氏に接近して取り入ったといわれる。
1980年~1998年(または1979年秋~1980年春)は、「静かに暮らしていた時期」だ。