2016年11月12日、土曜日。ソウル中心部は、朴槿恵(パク・クネ=1952年生)大統領の退任を求める国民で埋め尽くされた。集会の主催者は100万人が参加したと主張する。大統領の進退は、今週、重大局面を迎えたが、国民はどうしてこれほど怒っているのだろうか。
ソウル中心部の市庁前広場から光化門(クゥアファムン)にかけての大通りがこれだけの人であふれかえったのは久しぶりだ。
韓国メディアによると、1987年6月の民主化運動、2002年のサッカーワールドカップ大会以来のことだという。筆者は、この両方とも、ソウルにいて現場を走り回ったことがある。
1987年、2002年以来の大群衆
87年の民主化運動のときは、連日、学生やネクタイをしたサラリーマンが「独裁打倒」「護憲撤廃(大統領間接選挙を規定した憲法の改正を求めるという意味)」を叫んで激しいデモを繰り広げて戦闘警察(機動隊)と衝突した。
ワールドカップ大会のときは、赤いシャツを着た若者たちが大画面でのサッカー中継を見ながら「テーハンミングゥク(大韓民国)!」と応援の叫び声をあげた。
今回は、老若男女を問わず、大統領の退陣を要求した。夕方になるとローソクを持って、整然と抗議の声を上げた。
それにしてもこれだけの群集が集まったのは、それだけ国民の怒りが強いということだ。
だが、冷静に考えれば、主催者発表で100万人もの国民が大統領退陣を求めて集まるというのは、どうしてだろうか?
1987年の民主化のときは、ソウル大学生の拷問死や延世大学生が戦闘警察の催涙弾にあたって死亡する事件も起きた。長年の軍事独裁政権の横暴に、勃興する中間層が異議を唱えた。