そうやって、一部の子供をグンと伸ばしたあと、元の集団に戻して全員の学力分布を見るとどうなっているでしょう・・・?

 平均的によくできる子供の割合が、少しだけ上昇しているはずです。トップばかり伸ばす教育ではない。だからトップが増えるわけではない。でもボトム、最低ラインの子供の数は確実に減ります。

 そしたら、また無作為抽出して、別の10人をしっかり伸ばす。で戻す。これを繰り返すのです。

 これを繰り返していくと、分布のピークが真ん中で、富士山型からだんだんとエベレスト型に変化していく。

 最初から100人、1000人という子供全体を相手にする統計理論(“リウヴィルの定理”)ではどうにも手がつかない学力崩壊対策、言ってみれば偏差値教育みたいなものではなく、少人数の個人レッスンの地道な積み重ねで、最終的には全体の質にもしっかり改善、向上が見られるようになる。

 たとえ話のような説明ですが、ファン・デア・メーアの「確率冷却」は、このようにして「ビームの品位」全体を確実に向上させ、最終的に至難な実験を成功させ、ベータ崩壊をつかさどる「弱い相互作用」と電磁気力の相互作用とが高エネルギー側で統一されるという、自然界を貫く物理法則の根幹を立証する、人類史上いくつもない絶大な科学の貢献に成功したわけです。

 狙うべき獲物も大事です。しかし魚を釣るうえでは、それを可能にする竿、方法がそれ以上に大切なのです。

 良い竿があれば、2匹目以降の大物も吊り上げることができる。

 逆に「私は大物を釣り上げたのだ」と主張だけして、怪しげな偽造魚拓だけ見せて、吊り上げた竿もえさも何も提示できないようなものは、まともな科学者が相手にする代物ではありません。

 私が現在の日本の大学の「研究倫理」周りで大いに不満、ないし残念であるのは、こうした「魚拓」の話に終始して、例えば論文のコピペチェッカーなど阿呆ではないかと思います。と言うか、単なるアホの所業に過ぎません。

 竿や餌、ルアー、糸など、本当に2匹目以降の科学の大きな魚を釣り上げる教育や指導、あるいはその支援システムがほとんどまるまる置き去りになっている点です。私は大学以上に、中学高校時代に、科学の本質としてこうした「方法」ならびに「検証」の重要さを強く教わりました。

 そういう「研究倫理」教育の振興にも、今回の「重力波」観測のニュースは格好の話題を提供していると思いますので、日頃考えている問題に触れてみた次第でした。

 企業が本当に伸びたいと思ったら、一発屋のヒット商品を鉄火場的に狙うのではなく、本質的なイノベーションの実力を養うことです。

 国が本当に繁栄しようと思うなら、戦時国債的な一過性の回転ではなく、次世代を確実に支える創造的な人材を育てる以外に、本質的な方法などあるわけがないと思っています。