音楽を仕事にすることは決まっていて、大学では父親と同様、経済学を学ぼうと思っていた私は、初めて留学した冷戦末期の欧州、東ベルリンの現実やベルリンの壁の前に立ち並ぶ無数の十字架を目にしました。
西側に脱出しようとして射殺された人々の追悼碑などを見、人間の決めたことなど勉強して大した力にはならないのではないか、もっと確かな、ことを学校では勉強しておきたい、と思うようになり、いくつか経緯があって物理学を学ぶことにしたのです。
1984年のノーベル物理学賞は、弱電統一理論で記述される「WボゾンとZ粒子」を発見した欧州CERNの実験グループが受賞しました。
トップはイタリア素粒子マフィアの異名を取るカルロ・ルビア博士でしたが、ここでもう1人、実験の決定的な「方法」を考案し、ファクトを導き出した、まさに「羅針盤」や「航海技術」に相当する縁の下の力持ち、オランダの物理学者シモン・ファン・デア・メーア博士がノーベル物理学賞を受賞したのです。
科学雑誌にはファン・デア・メーア博士の円満な人格が紹介されるとともに、彼の考案したビームの「確率冷却」の解説が出ていました。
その考え方そのものが非常に面白く、また、従来であれば粗略な数学的理論でミソもナントカもごっちゃにしていたところを、極めて秀逸なアイデアで乗り越え、不可能と思われた実験を成功させた、アプローチそのものが素晴らしいと思ったのです。
このコラムで毎週のように書き続けているとおり、科学は「ファクト」が重要です。そしてそのファクト、例えば「新大陸が存在するという事実」を明らかにする方法や「大西洋横断の航海技術」があって初めて、そのファクトに私たちは自在にアクセスできるようになる。
そういう「方法」から作り出すのが、大きな仕事なのだ・・・。
岩波「科学」や丸善「パリティ」などの当時流行でもあった科学雑誌だったと思いますが、それらからハイティーンだった私が読みとったのは、そういう骨法でした。
これは音楽でも同様のことが言えるのです。
個別の作品はとても重要です。優れた作品を作る作曲家は優れた作曲家と言えるでしょう。しかし、そういうスタイルの音楽が可能な土台そのものを作る人がいる。J.S.バッハは転調が可能な平均律の音楽枠組みそのものを確立した人として「音楽の父」などと呼ばれました。
あるいは3和音中心の和声の体系を4音以上のポリフォニーに拡大したヴァーグナーの仕事、「トリスタン和声」ばかりが取り沙汰されますが、トリスタンの和音を含め「6の和音」「7の和音」を自在に切り結ぶ前人未到のポリフォニーが重要で、その模倣や縮小再生産の仕事は、(仮にどれだけ著作権料その他で儲かるヒット作であろうとも)あくまで土台の上に成立するものでしかない。
バッハやヴァーグナー、あるいはバルトークやストラヴィンスキーのような「土台の方法」から作る作曲家を「大作曲家という」と専門で習っていましたので、科学も同じことなんだな、と考えたわけです。