韓国大学入試で2問の出題ミス、当局トップが引責辞任

韓国・ソウル(Seoul)の高校で日本の大学入試センター試験に相当する大学修学能力試験を受ける生徒たち(2014年11月13日撮影)〔AFPBB News

 受験シーズン真っ盛りですが、大学入試って何のためにあるんでしょうね? という話題です。

 受験生は一生の大事、とばかり、ねじり鉢巻と思いますが、大学サイドとしては毎年行う重要なイベントで、1回うまくいった、失敗した、というような種類の話ではありません。

 ここであえて問うてみたいのです。何のための入試なのか?

学生にとっての入試とは?

 まず、愚問と思うかもしれませんが、あえて尋ねてみたいと思います。受験生は何のために大学を受けるのでしょう?

 「そんなの決まってるだろう、大学に入りたいからだ!」

 と怒られそうですが、実際そうなんですね「大学に入る」ことが目的で、入ってから大学で勉強するために受験しているように見えない若者が、現実問題として多いように思うのです。

 私がここ17年間教えている東京大学は、日本社会では何かと揶揄の対象になりやすいですが、紛れもなく大学であって、ごく普通の意味で研究・教育の現場にほかなりません。

 諸外国では、大学に入ってそこで勉強したいから学生は入学の志望書を出し、比較的簡単な試験で広き門に迎え入れられます。

 ただし、最初の3週間、8週間、4か月、1年で脱落して学籍を失う学生も普通にたくさんいる。広く入れて狭くしか出さないことで、教育をクオリティコントロールしているのが先進諸国の多くの大学だと思います。

 翻って日本はどうでしょう?

 いまさら言うまでもないでしょう。狭き門を作ったことにして、それさえ通れば、その先は授業料を払うことで自動的に単位はつき、仮に卒業などできなかった場合には、モンスターペアレントの猛烈な抗議に合いかねません。

 「教育はお金で買えるもの」というホンネが社会に蔓延し切っている、かなり堕落した世の中の実態になってしまっています。