福沢に私淑してくる改革派の金玉均などを通じて、朝鮮の内情を十分に把握していたのだ。「国民はこのように国内では軽蔑され、国外に対して独立国民としての栄誉はどうかと尋ねられるなら、答えるのも忍びない」と診立てている。

 しかるに、「政権の帰する処の目的は私的な利益だけであり、この人々の内実を評すれば、一身を国のための仕事に捧げるのではなく、国の仕事を弄することで一身の利益のために利用するものといわざるを得ない」と結論づける。

 国家の栄誉や国民の生命、財産が守られてこそ、国民もその政府の下に従う甲斐もある。しかし、今の状況はそうではない。

 従って、朝鮮国の滅亡は「王家(李氏)や臣下の貴族や士族にとっては残念至極なことであろうが、国民にとってはむしろ幸福につながるのではあるまいか」というのである。

 辛辣な評価で、日本にいる朝鮮人による暴動などを心配した当局は「治安を妨害する」として、掲載紙の1週間発刊停止処分を受ける。

 この檄文の「王朝」を「共産党指導部」と読み替えれば、今日の中国の状況を映し出しているようにも思えるがいかがであろうか。

 こうした異質人種には、日本や西欧民主主義国家の価値観が共有されることがない。拘束された日本人の処置では、人情は言うまでもないが、民主主義的行動原理が働く余地などほとんどあり得ないであろう。

203高地では公安が後方で監視

 話はほぼ十数年前に遡るが、自衛官を退官して初めて訪ねた外国は中国であった。日本にとり中国ほど陰に陽に関係する国はないと思ったからである。

 広大な中国は一寸やそっとでは回り切れない。勤務関係もあり、長くて1週間の旅4回で概略をカバーすることにした。第1の訪問先は日本の近代化と日露戦争に関係した203高地・旅順港および旧満州地方(現東北部)にした。

 2回目は鄧小平の改革開放以後の西部開発で再度脚光を浴び始めており、古代にあっては日本が遣隋使や遣唐使を送った隋・唐の首都長安、副都洛陽と周辺の黄河地域である。

 そして3回目は歴史論争に関わる北京や上海・南京周辺、最後は返還直後の香港とマカオにした。

 筆者の旅は特別に仕立てるわけでもなく関心ある個所が組み込まれているツアーを選定するだけである。だから、必ずしも調べたい課題の核心や細部に迫ることはできないが、当該国を大雑把には知ることができる。