個人的な中国の旅を列挙したのは、今回の日本人拘束に関して思いあたる節を処々で感じたからである。203高地訪問は開放された直後であった。
中国を商売相手にして頻繁に訪問していた会社社長が拘束され、かなりの罰金を払って解放されたが、パスポートには「好ましくない人物」と書きこまれたという話を直前に聞いていたので、旅の初めで「細心の注意」が必要なことを痛感した。
しかもこの日は、我々の後方には公安関係者2人が尾行していた(ガイドが確認)ので、行動にはなおのこと慎重を期さなければならなかった。
見学者に開放されたとはいえ、全部ではないという。しかし「立ち入り禁止」などの表示はない。そこで「ここは入っていいのか、あそこはどうか」など神経質なほど聞きながら、展望台などに上る仕儀となった。
旅順港では地図を買いたいと思っていた。しかし、標高などを記載した精巧な地図は見当たらなかった。あった場合、下手に持っていると「スパイに仕立てられかねない」とも耳にしていたので、なくてよかったのかもしれない。
今回の日本人拘束やフジタ社員の拘束は、203高地のように「立ち入り禁止」の明示がなかったり、掲示があっても気づかない状況ではなかったかなど、疑問なしとしない。
人民を楯にする中国の戦法
瀋陽から長春へ向かう列車内では、朝鮮族中国人が切手や絵葉書を売りに来た。見せてもらうと、金日成と金正日の写真ばかりである。持っておれば、状況によってはおかしな嫌疑をかけられる危険性もあり、とても買う気にはなれなかった。
上海事件と続く南京事件は国民党が不必要に人民を楯にした中で起きた。しかも国民党の宣伝戦によって、所在した人口20万人を超す30万人や40万人を日本が虐殺したと世界に喧伝する出鱈目を平然と行っている。
ユネスコは日本の異議申し立てに耳を貸すことなく、世界記憶遺産に登録することを決めた。
日中戦争の頃、駐中国米公使のラルフ・タウンゼントは、中国の戦いでは兵隊の死者はごく少なく、ほとんどは戦場となった地域住民が放火や掠奪で焼死や餓死する、いわゆる三光作戦(焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす)の結果であると述べている。
江西省での国民党軍と共産党軍の戦いにおける楊将軍の報告では、兵隊の死者18.6万人に対し、難民の死者210万人、焼失家屋10万棟となっており、10倍以上の非戦闘員が巻き込まれていることが分かる。