中国は日中戦争の犠牲者を現在は3500万人と公言しているが、東京裁判当時の国民党政府(中華民国)は320万人と称していた。ある時から570万に増大したが、共産党政権(中華人民共和国)になると一気に当初の約7倍、2168万人に膨れ上がる。

 そして1995年に江沢民は3500万人と言い出した。数字の弄びは、真の犠牲者に対する冒涜以外の何ものでもない。

 南京事件を含め、大部分の犠牲者は中国の戦法による自国軍の三光作戦による犠牲者にほかならない。そのうえ、政治状況によって犠牲者は2倍にも7倍にも、さらには10倍にも拡大される。

 毛沢東はソ連との仲たがいで援助が打ち切られ核開発ができなくなったとき、(多額の予算投入で人民が餓死し)半減しても原爆を完成させると豪語した。

 当時は6億人であったから、3億人を餓死させても原爆を持つと決意したわけで、人命を軽視していたことを示している。

 中国で人権や人命が露ほどの重さもないことは、近年起きた高速列車事故で子供が生き埋めされようとしたことや、二度ひき逃げされた子供のそばを18人が素通りして行ったことでも分かる。

 犠牲者数を2倍にしようが10倍にしようが、何の痛痒も感じないし、データーの改竄などは日常茶飯事であろう。

 中国の軍事予算は公表の2~4倍と見られているし、所得格差から暴動・革命などの危険水準を示すジニ係数に至ってはほとんど信頼性がないと見られている。

 夕刻の西安空港に降り立った時、広大な更地が地平線の彼方に広がっていた。そして、ところどころに写真で見た風景同様に、ブルドーザーやクレーン車が土盛りをしていた。

 西部では兵馬俑や大雁塔、さらには西安古城壁、楊貴妃の華清池などが見物の要所であったが、筆者はガイドに安全を確認したうえで、夜の裏町を散歩した。書籍を並べた露店には毛沢東を批判する書などがあり、表には出せないが、少なからず毛批判があることを感知するには十分であった。