安保法制は混乱のうちに成立した。審議過程で民主党をはじめとした廃案志向の野党が多発した中に、「歯止めがないじゃないか」という発言があった。
しかし、この発言には矛盾がある。歯止めを利かすのは自分たちが属する国会と政府による「文民統制」、すなわちシビリアン・コントロールであるということを忘れた発言であるからだ。
特に民主党は政権を執ったことがあるにもかかわらず、シビリアン・コントロールを信頼していないか、あるいはシビリアン・コントロールについて深く考えていないことを告白したような言動で、政権担当の資格を自ら放棄したに等しかった。
「狂気」集団と化した野党
平成27年9月19日付「産経抄」に良い記事があった。ニーチェの言葉だそうであるが「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」というのである。
言うまでもなく、9月17日の参院特別委での採決時の混乱を説明するに当って引用されたものである。採決、あるいは採決に至る過程における意見発表などにおいて、民主党がしばしば採った暴力を含むルール無視の行動を指している。
民主主義の模範を示すべき国会がこれでは、今後、どんな暴力が出てきてもおかしくない。議論の末に多数決で決めるのは民主主義の基本中の基本ではないだろうか。
「議論が尽くされていない」という世論調査の結果を踏まえた、さらには自分たちの廃案志向が重なっての採決反対であろうが、ここには大きな矛盾があった。
審議を尽くさなかったというのは野党自身が仕かけたことであったからである。議員数に基づく委員会の構成では与党が断然多かった。しかし、戦後日本のあり方をがらりと変えかねない重要法案であることから、衆院では野党に9割の質問時間が充当された。
ところが「これほど分かりにくい法案である」ということを強調したい野党は、国民になぜ法案が必要になっているか、(今後)数次の国会審議を待たずになぜ今なのか、すなわち国家と国民のリスクが異常に高まっており、明日では覚束ないという基本的なことにはほとんど触れようとしなかった。
「地球の裏側まで行くことになる」、「アメリカの戦争に巻きこまれる」、「自衛隊員のリスクが増える」、「徴兵制になる」などなど、日本の安全に無関心かつ無責任な憲法学者の「違憲法案」という声を背景に、国民がパニックを起こすようなことばかりを喧伝する方法を採った。