世界同時株安と原油価格の乱高下、そんななかで発覚したフォルクスワーゲンの排ガス不正・・・。
先行きの見えない不安な経済情報がもたらされるなか、テレビで目にするコメンテーターの話は、時間の枠制限が大きいとはいえ、どうにも表面一通りも撫ぜておらず、羅列以前にとどまることでかえって混乱を深めるような気がするものがあります。
先週フォルクスワーゲンの件が発覚した直後、「何をいまさら」的なそもそも論を記しましたが存外に反響をいただいたので、もしフォルクスワーゲン事件がなかったら書くつもりだった方向で、この事件の意味合いと、私たちはどうするべきかという指針を展望してみたいと思います。
株価は何を示すのか?
さて、改めて。「株安」と言いますが、単に価格が高い低いという以前に、そもそも株価って何なのでしょう?
例によって常識の源流を探訪するなら、16~17世紀の英国で東アジアに船出するというのは大変な危険=見えないリスクを伴う大事業だったわけです。船団が10艘で船出しても、そのうち2~3艘は帰ってこない危険性があった。
でも中国の銀やモルッカのスパイス、インドの紅茶などを満載した船が帰還できれば、間違いなく巨額の売り上げが見込まれ、冒険心に富む船乗りは毎回危ない海に漕ぎ出し、その航海を支える投資家は、リワード=リスクを乗り越えた報酬を期待して、船に資金を提供した。
このとき、A号だけに10のお金を出すのでなく、A号にもB号にもC号にも・・・複数の船に分散して投資しておけば、仮にその中の1艘が難破しても、ほかの船のどれかが帰ってくる期待値がありますから、投資家も破産せずにすむ。
10人の投資家が1艘の船にそれぞれ10金ずつ出資するのでなく、10艘にそれぞれ1金ずつ、合計10金の投資をすれば、動くのは同じ100のお金でも、各々の投資家のリスクも低いし、破産などに伴う市場の荒れも少ないでしょう。
元来はこういう「大きくなって、戻って来いよ」という<育てる投資>、言わば「牧歌的な資産経済」が株式市場の揺籃となったはずでありました。何をいまさらそもそも論と言われるでしょうが、リスキーな局面でこそ、こういう原点を振り返る必要があると思います。
あえて言うなら「株価」は「夢の指標」なのです。市場が将来に明るい希望を見出し、そこに賭けることで産業全体が活性化していく。こういう本質は見失うべきではない。