溶けゆく氷を使っていた大正・昭和の冷蔵庫

変わるキッチン(第15回)~冷やす(後篇)

2015.07.31(Fri)澁川 祐子

 その年の夏、諭吉は重い発疹チフスに罹り、高熱にうなされていた。治療のために氷を入手しようとしたが、暑い日が続いていたため、どこにも売っていない。そのとき教え子たちが、元福井藩主の松平春嶽のもとに外国から買い求めた実験用の冷凍機があると聞きつけ、これを借りに行った。そして、のちに「近代化学の父」と呼ばれる宇都宮三郎の指導の下、日本初となる機械による氷を製造したのだ。病床の諭吉のもとへ無事、氷を届けることができたという。

 余談だが、諭吉と嘉兵衛とは面識があった。嘉兵衛が牛乳や牛肉の販売を手がけたのは、諭吉の「これからは牛肉や牛乳をみんなが食べるようになる」という言葉に後押しされたからだという。当時の最先端を行く人々の間で、さまざまな情報が交換されていたことを思わせるエピソードだ。

 その後、1879(明治12)年に横浜で最初の製氷工場が開設される。イギリス人のアルバート・ウォーターズが設立した「ジャパン・アイス・カンパニー」だ。さらに1883(明治16)年には、日本初の製氷会社「東京製氷会社」が設立。天然氷に代わって、人工氷が徐々に台頭していった。天然氷で名を馳せた嘉兵衛もいずれ機械製氷が中心になる時代が来ると睨み、1897(明治30)年に「東京機械製氷会社」を設立する。だが、本格的に事業を開始する前の同年に80歳で没した。

冷えない、溶ける、それでも冷蔵したい

 では、氷の普及は人々の食生活をどのように変えただろうか。

 第一に、氷菓や飲料など冷たさを味わうものが身近になったことが最初の大きな変化だった。嘉兵衛の天然氷が登場してから、横浜の馬車道では、夏の風物として氷水やかき氷、アイスクリームが売り出され、人々を虜にした。次いでサイダーやラムネ、ビールといった、冷えていてこそおいしい飲みものも人気を博した。

 次に、食品流通を大きく変えたことが挙げられる。鉄道の発達とともに、氷を使った冷蔵車が明治時代の半ばに登場。それにより、遠く離れた地から新鮮な魚や果物を運ぶことが可能になった。

 さらに氷は、家庭での食品の貯蔵にも貢献した。明治30年代になると、「氷箱」ないし「氷冷蔵庫」と呼ばれる氷を使った低温の貯蔵庫が登場するようになる。(冒頭の写真)

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