そのまま走り去っていく列車の後姿を見送りながら、先ほどの男性がほっとした表情で戻ってきて、線路脇に転がっている木枠を拾い、駅舎の柱の所定の場所に掛ける。
「日本でも一昔前は同じようにしていたなぁ」などと懐かしむ声を背中で聞きながら、たった今見た、シンプルながら確実な受け渡しの仕組みに半ば感心し、半ば微笑ましさを感じていた筆者だったが、信号専門家の近藤さんに「信号装置が正常に作動していたら、こんなやり取りはしなくていいんですよ」と声を掛けられ、はっとした。
言われてみると、確かに、線路脇に立っている色灯は、赤と青のどちらも点灯していない。どうやら、ほのぼのとした先ほどの光景こそが、ミャンマー鉄道の現状を端的に表しているようだ。
動かない設備
線路脇に設置され、前方の状況を運転士に伝える信号。改めて書くまでもないが、前方に他の列車がいるかどうか確認し、進入の可否を的確に知らせることによって衝突事故を防ぐという、重大な機能を持つシステムだ。
具体的には、レールに電流を流し、スイッチのONとOFFを切り換えるリレーを用いた継電連動装置を作動させてリレーの状態を見ることによって、一定区間(閉そく区間)内に列車がいるかどうか検知し、信号を現示(点灯)させて進入の可否を運転士に知らせる仕組みである。
しかし、ミャンマーの鉄道では、乗客の安全に直結する重要なこの信号システムの存在感が驚くほどない、というより、ほとんど機能していない。
1つの大きな理由は、電力不足である。日本コンサルタンツ(JIC)に所属する電力専門家の和木浩さんは、「電力が不安定で停電も多い上、自家発電の整備も不十分」だと指摘する。
この国のほとんどの駅では、そもそも周囲の集落をはじめ地域全体が電化されていないため、遠方の発電所から最寄りの中継所まで送電されているとはいっても非常にロスが多いためである。