変化の波に残した足跡

 これまでたびたび指摘してきたように、運輸交通インフラは外資の進出判断を直接左右し、国家経済の発展にも大きな影響を与える。

 しかも、タイ、中国、インドと国境を接し、インドシナ半島を横断する東西と南部の2本の経済回廊とインド経済圏をつなぐ要衝にあるこの国の運輸交通インフラ政策は、同国のみならず、地域全体の将来にとって非常に重要な指針となることは言うまでもない。

 そんな壮大なミッションを背負い、29人の日本人専門家を動員して華々しく始まったこのマスタープラン調査は、この国の今後にどういう一石を投じたのだろう。

 「これは終わりではない。これから本編が始まるのだ」という大臣の言葉通り、このセミナーから新たなステージが始まった。実際、このマスタープランを受けて、すでにヤンゴン~マンダレー間の鉄道を改修するための詳細設計調査(D/D)がスタートしている(今後継続して紹介予定)。

 「1カ月前の情報はもう古い」とささやかれるほど、めまぐるしく変化するミャンマ――。

 ここ数年の間にも、工事中だった立体交差が完成していたり、ホテルでクレジットカードの支払いが可能になったり、以前はほとんど見かけなかったATMを道端やショッピングモール、高速道路沿いのサービスエリアで見かけるようになるなど、現地を訪れるたびに、毎回何かしら変化があった。

 日本との関係も強まる一方だ。2012年に38人乗りの飛行機で成田空港~ヤンゴン線を週3回就航させた全日本空輸(ANA)は、いまや200人乗りのボーイング767を毎日飛ばしている。

 ミャンマー国際航空も2014年10月、関西空港~ヤンゴン線の定期チャーター便を週に3往復させることを発表した。ヤンゴン市内の日本食のレストランの数も、いまや100軒を優に超えるという。

 かつてこの国は北朝鮮やイラクと並び「圧政の拠点」と糾弾され、国際社会からも孤立してきた。

 しかし、2013年以降の取材でこの国を歩いても、もはや、植民地時代に大英帝国の警察官としてこの地に赴任し、後に作家となったジョージ・オーウェルや、彼の足跡をたどってこの国を旅した米国人ジャーナリストのエマ・ラーキンが書き残しているような「息詰まる重苦しさ」や「恐怖の息遣い」を人々から感じることは筆者にはなかった。

 「方向を誤ればエネルギーが分散し、無意味な渦が発生するだけの勢いを、どうすれば骨太の水流にし、安定した国作りを実現できるのか」という筆者の問い掛けに対して、このマスタープランはどんな答えを用意してくれたのか。それを探しながら、変わり続けるこの国を、もうしばらく見続けることにしよう。

ネピドーのショッピングモールに出現したATMコーナー
ヤンゴンのダラ桟橋のふもとにはフェリーやバスで使えるICカード売り場が設置された
 

(つづく)

本記事は『国際開発ジャーナル』(国際開発ジャーナル社発行)のコンテンツを転載したものです。