韓国社会を騒然とさせ、首相を辞任に追い込んだ建設会社会長の自殺劇。この建設会社の栄光と転落の歴史は、ドラマチックで韓国の産業界の縮図でもある(2015年4月22日付「韓国首相、『自殺メモ』の直撃で辞任へ」参照)。
2015年4月9日、建設大手の京南(キョンナム)企業の成完鍾(ソンワンジョン=1951年生)会長がソウル郊外の山中で自殺した。
不正資金を渡した人物のメモを残していたことなどから、名指しされた李完九(イ・ワング=1950年生)が4月20日に辞意を表明するなど韓国の政界、産業界は騒然としている。
会長自殺から1週間後の4月15日、この京南企業が上場廃止になった。会長の自殺が直接の原因ではない。実は、京南企業はここ数年、資金繰りが悪化して存廃の危機に瀕していたのだ。
取引銀行団が経営再建を目指していたが、会長が自殺する2日前の7日にこれを断念することが決まった。この日、ソウル中央地方裁判所が法定管理(=企業更正手続き)を決めたのだ。会長の自殺はこういうタイミングでもあったのだ。
数奇な盛衰を繰り返してきた著名建設会社
4月14日、取引最終日の終値は114ウォン(1円=9ウォン)。2011年8月5日には1万5150ウォンだったが、業績悪化とともに、株価も一本調子で下がり、日本円換算で13円にまで下落していた。
この京南企業という建設会社は、日本ではほとんど知られていないだろう。だが、長年、ソウルで生活していれば、「京南」という漢字のマークがついたアパート(日本で言えば大型マンション)をよく見かけることができた。有名企業だったのだ。
京南企業は、1951年に「京南土建」という社名で設立された。3年後に社名を変更してから、韓国の経済成長に乗って事業拡大が始まった。
京南企業は「韓国初の建設会社」という記録をいくつか持っている。
1965年、タイの放送局建設工事を受注したのだ。