「もやし」を日本中に広めたのは戦争だった

岐路に立つもやし(前篇)

2015.01.16(Fri)漆原 次郎

 そこで今回は、「もやし」をテーマに、古(いにしえ)からの歴史と現代の生産技術を追うことにする。まず前篇では、日本におけるもやしの歩みをたどってみる。いまや、全国各地のスーパーマーケットで買えるようになった、もやし。どのように普及してきたのだろうか。

 後篇では、もやし・カット野菜を製造販売する茨城県の「旭物産」を訪ね、現代のもやしの生産技術などを見せてもらう。同社社長の林正二氏は、2014年12月に「もやし原料種子の高騰について」を発表した「もやし生産者協会」の理事長でもある。もやしをめぐる厳しい現状についても聞く。

インドネシアから? 中国から? 謎に満ちた起源

 豆類などを水に浸し、日光を遮って芽を出させたもの。これが「もやし」である。一般に我々が食べるもやしの原料豆としては、皮が緑色の「緑豆(りょくとう)」、皮が黒くてブラックマッペともよばれる「毛蔓小豆(けつるあずき)」、それに「大豆」などがある。

 いま見られるようなもやしが、どのように日本に渡来し、栽培されるようになったのか。実は、その起源についてはほとんど明確になってはいない。

 食物史家の近藤弘は、1976年発行の『科学朝日』の取材に、「紀州の緑豆がインドネシアのジャワ島やセレベス島にあるということを、かつて紀州の人に聞いたことがあります。そしてカツオのふるさとの1つはセレベス海と考えられている。だから、彼らがもし黒潮に乗って、カツオを追って北上すれば、薩摩沖、そして紀州沖に達する」との見解を示している。黒潮の通り道である沖縄で、古くからもやしを「マーミナ(豆の菜)」とよび、調理法が発達していたことも傍証にあげている。

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