「もやし」を日本中に広めたのは戦争だった

岐路に立つもやし(前篇)

2015.01.16(Fri)漆原 次郎

ゼロから復活した日本のもやし生産

 その後、程なくして日本は敗戦を迎え、産地だった満州などからの原料豆輸入ルートが絶たれた。終戦直後、国内産の原料豆で細々ともやし栽培が行われたものの、生産量は激減した。

 だが、先述の農林省報告書によると、1949(昭和24)年、解散を余儀なくされていたもやし組合の関係者が、「カリフォルニア産の緑豆が正月用特別配給食糧としてGHQの管理のもと食糧庁倉庫に保管されている」という情報を入手したという。そしてこの関係者は当局と交渉に挑み、5000トンの原料豆の配給を勝ち取ったのである。この出来事が、戦後のもやし復活の契機となったといわれている。

 戦後、日本では流通網が発達し、また、空前のラーメンブームなども手伝い、もやしは本格的に普及した。1972年には、原料豆の総輸入量は戦後はじめて5万トンを超えている。

 どんな料理にもうまい具合によく調和するもやしは、こうして、日本における食の多様性に貢献していったのである。

 ところが、そのもやしに、いま“危機”が訪れているというのだ。後篇では、現代のもやし事情に目を向けてみたい。

(後篇につづく)

いかがでしたか?
JBpress をブックマークしましょう!
Twitterで @JBpress をフォローしましょう!
Facebookページ に「いいね」お願いします!

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る