長崎県長崎市に松翁軒(しょうおうけん)というカステラメーカーがある。店舗は長崎と福岡にしかない。全国的な宣伝も行っていないので、知名度は決して高くない。
しかし「長崎に行ったら必ず松翁軒のカステラをおみやげに買う」というファンは多い。砂糖と卵の割合を極限まで増やした濃厚な味わいは、確かに一度食べたら忘れられない。
江戸時代の創業以来、松翁軒の経営は波乱に富む。1935(昭和10)年には倒産の憂き目に遭った。
また昭和30年代にも松翁軒は危機的な状況にあった。以下は、その頃に会社を立て直した10代目当主、山口貞一郎氏の回想である。
〒850-0874
長崎県長崎市魚の町3-19
当時の私は、まさに独裁者でした。鬼と言ってもいいでしょう。多くの従業員は私のことを憎んでいたはずです。私が知らない間に、誰かが私の下駄に釘を打ちつけていたこともあります。私は従業員に対してそれほど厳しく接したのです。
でも、そうしなければ松翁軒はつぶれていたことでしょう。そうやって従業員の働きぶりを変えたからこそ、松翁軒の経営は持ち直し、復活することができたのです。だから私は今でも、経営は独裁で行うものだと思っています。
主人夫婦が不在で会社が倒産
松翁軒の創業は江戸時代中期の1681年(天和元年)です。山口屋貞助が長崎市の本大工町に店を構え、カステラや砂糖漬けなどの製造を始めたのが出発点でした。
明治、大正と、松翁軒は長崎一の菓子屋として大いに栄えました。8代目の当主だった祖父は家伝の製法と原料の探求に情熱を注ぎ、風味の向上に努力しました。当時珍重されていたチョコレートを使い、松翁軒オリジナルのカステラ「チョコラーテ」を開発したのも祖父でした。
祖父は各種博覧会への参加にも熱心で、パリの大博覧会(1900年)やセントルイス万国大博覧会(1904年)にもカステラを出品。様々な名誉ある賞を受賞しました。祖父の外に向けてのエネルギーはすさまじく、松翁軒のほかにも会社を3つぐらい作りました。例えばそのうちの1つである製菓会社では、ビスケットや飴などを朝鮮半島に卸していたと聞きます。
しかし、その一方で松翁軒の経営はずさんなものでした。国内外の博覧会のカステラ審査員として各地を飛び回り、店はずっと留守のまま。夜は夜で花柳界に入り浸りです。大阪から嫁入りしてきた祖母はお姫様みたいな人で、こちらも別荘にこもりっきりです。
主人夫婦がいない社内は、どんどん乱れていきました。職人は食材や商品を勝手に持ち出してどこかへ行ってしまう。また帳簿も不正、改竄が行われ、文字通りの乱脈経営です。こうして松翁軒はどんどん転げ落ちていきます。そして1935(昭和10)年にはとうとう倒産してしまいました。
食事と将棋で昼休みに2時間
祖父と父親は、夜逃げ同然で現在の場所に移りました。戦時中になんとか借金を払って店を立て直したのですが、戦後はまた乱脈を極めました。9代目当主となった父親も、やはり経営には向いていなかったのです。
父親は師範学校を出て、2年間小学校に勤めた後、京都で働いてから山口家に婿入りし、松翁軒に入社しました。勉強が非常によくできて、「秀才」の誉れが高い人でした。ところが性格が仏様のようにおとなしい。従業員からは「ごはんさえ食べなけりゃ本当に仏様だ」と言われ、揶揄されていたそうです。