エビフライといえば、洋食屋の代表的なメニューだ。赤みの差した尾っぽが花開いたようにそそり立ち、身の部分はこんがりと色づいた衣に包まれ、こんもりと丸みを帯びている。この堂々とした見た目のせいか、安い定食だろうが、お弁当のおかずだろうが、エビフライにはごちそうの風格がある。
このエビのごちそうが、実は日本発祥らしいと耳にした。いかにも海外にもありそうなものだが、本当に日本にしかないのだろうか。
考えてみれば確かに、フレンチやイタリアンの店や、中華料理屋でエビフライを頼もうと思ったことは一度もない。もっぱら、洋食屋やとんかつ屋のメニューに載っているイメージだ。
エビの揚げもの料理なら、もちろん世界各地にある。
中華料理には、エビのすり身を細かく刻んだパンで包んで揚げる「エビの鹿の子揚げ」(麺包蝦球:ミェンパオシャーチュウ)なんて手の込んだ料理がある。欧米では、小麦粉を卵や牛乳で溶いた衣をつけて揚げる「フリッター」が一般的だ。
だが、車エビなど大ぶりのエビ1尾をパン粉につけて、サクッと揚げたエビフライは見当たらない。魚のフライはあるというのに。
ならば、いつどのようにして、エビフライという料理は出来上がったのだろうか。そして、あたかも西洋からやってきたような顔をして、日本の食卓に定着したのだろうか。
フライと言えば「魚」だった明治初期
1885(明治18)年11月4日付の『時事新報』には、「フラヰ老海」という文字が登場する。これは、東京の八丁堀北島町(現在の中央区日本橋茅場町)にあった「松の家」が「松の家洋食上等献立」と題し、毎日の献立を載せていた広告内での記述である。また、翌年1月11日付の同広告には、「ヱビフニラ」という、意味不明の文字もある。