かつて大学の「改革」というものを、数年ではありますが、まじめに考えた経験のある1人の大学関係者として思うのですが、下手な改革などしない方が、学生や教員研究者、職員の大半のためになると感じています。
その最たるものの1つが「大学9月始業化」うんぬんでしょう。まあ、結局そういう話で形だけ進めるのだと思いますが、10年、20年後への歴史的証言として記しておきます。
ほとんどプラスの効果はなく、むしろ空疎なマイナスが多い「ゆとり教育化」の一貫として総括される可能性が高いと思います。
「ギャップターム」などより、ほかにすべきことが山ほどある
現実問題として、大学には様々な、解決すべき課題があります。しかし、そのどれ1つとして、きちんと着手し何らかの成功を収めるのに、めどが立ちません。そんな中、数年の準備で仕事したような格好に見えるのが「制度改革」の類でしょう。
国際社会のアカデミックカレンダーに合わせた大学の「9月入学化」という話はずいぶん前からありました。その意味では私は、9月スタートと4月スタート、2つのスタンダードが並行してある形が一番良いと思っています。
一方では、小学校から高校まで4月に始業する学校があり、また役所や企業のカレンダー、国の会計年度をはじめ、4月に始まり3月に終わる社会の全体があります。これらに即応しない大学だけの手前勝手なカレンダーというものもないでしょう。
そんな中で「9月入学」として考え始め、いつのまにか「9月始業」に差し替え、何となく推移しているというのが、現在の「ギャップターム」まわりの議論だと思います。
タームと言うのは「学期」という程度の意味、大学入試が春先に終わり、4月から8月までの、従来なら大学入学したての1年前期に相当する時期を「ギャップ」として従来と違う「ゆとりのある教育」に生かそう、というわけです。
つまり大学のゆとり教育化そのもの、と、まず事の本質を見抜くことから始める必要があります。
何か事故があったときどうするのか?
少し前に3月に合格発表があってから9月まで、大学と無関係に好きにすればいい、という無責任な議論がありました。とんでもない猪口才と思いましたので、いくつかのメディアではっきりリスクを指摘させてもらいました。
例えばこんなケースを考えてみましょう。3月に東京大学に受かった。で、これから同級生になるもの同士、あるいは早々と学生が自主的に行うであろうサークルの勧誘(合格発表時にこれは行われます。東大の場合「5月祭」という春季の学園祭もあり、運動部も文化サークルも新入生の勧誘に忙しいわけですが)があり、実質的に「東大生」として3月末から活動し始めるのは火を見るより明らかです。
で、そんな新入生歓迎行事、例えばオリエンテーションで「事故」があったら・・・?
大学はどう責任を取るのでしょうか?
あるいは取らないのでしょうか?