マスコミは往々にして物事の一面だけを面白おかしく取り上げて騒ぎ立て、事の本質を見えなくしてしまう。開星高校(島根県)の元野球部監督、野々村直通氏が巻き込まれた「腹切り発言」事件は、まさにその典型例だった。
2010年の「春のセンバツ」(第82回選抜高校野球大会)で事件は起きた。野々村監督が率いる開星高校は初戦で「21世紀枠」の向陽高校(和歌山県)と対戦した。
21世紀枠とは、地区大会で上位に勝ち上がってはいないが「部員不足などの困難を克服したり、他校の模範となる学校」を、特別に選出する制度である。前年秋の中国大会で優勝した開星高校にしてみれば、絶対に負けられない相手だった。
だが、開星高校は1対2で敗れてしまう。野々村監督は敗戦にショックを受け、試合後の共同インタビューで「21世紀枠に負けたことは末代までの恥」「腹を切りたい」と発言した。居合わせたマスコミの記者たちが、この発言に飛びついた。「高校野球の監督にあるまじき不適切な発言」「前代未聞の問題発言」などと報じ、糾弾した。
野々村氏は翌日の緊急会見に駆り出され、「本当に申し訳なく、謝罪いたします」と神妙に語り、目に涙を浮かべた。
会見での服装も槍玉にあがった。身にまとっていたのは光沢のあるグレーのスーツに黒いシャツ、緑のネクタイにサングラスだった。マスコミは「とても堅気の人には見えない、それが教育者の服装か、謝罪する人間の服装か」と攻撃した。
マスコミによって、野々村氏は一方的に「国民の敵」にされてしまった。最終的に、「不適切」発言で世間を騒がせた責任を取って、監督を辞任することになった。
監督復帰を嘆願して約8000人が署名
新聞の記事やワイドショーなどを見て、野々村氏の言動を「許せない」と思った人は多いはずだ。しかし、野々村氏をよく知る周囲の反応はまったく違っていた。
野々村監督が辞任すると伝えられた野球部の選手たちは、その場で30分以上も泣き続けたという。その中の1人に、当時3年生の糸原健斗選手がいた。現在は明治大学に進学し、野球部の主力選手として活躍しているが、今も「いちばん尊敬する人物は野々村監督」と言ってはばからない。