以前「文理融合組織」なるものの大学院入試に関わって、志願してくる受験者が「研究計画発表」のプレゼンテーションをするのですが、これが「不勉強に起因する二番煎じ」以下のオンパレードで、参りました。
受験生諸君が示す症例は2つに分かれました。
●第1は、とっくに解決されていて、何の価値もない問題。
例えば「楽器の音色のナゾを探る」みたいな話をされても、それはあなたがおうちで勉強すれば大半のことは分かるはずで、大学院で「研究」するような対象ではありません、というようなタイプ。
●第2は、そもそも解くことができず、追究する意味のない「偽問題」。
「人間にとって心地よい音とは何か?」みたいなことを言う人。そんな退屈なモンが分かっていたら、こっちは音楽なんぞやってられねーよ、と思いながら、下調べの不足した若い人の発表に付き合わされるのは、なかなかの我慢大会でした。
大切な相手に会うことになったら・・・
そうそう、そう言えば、僕も何だかんだ30年近く芸術屋の看板をさげて仕事してきましたが、大学院の研究室を訪ねると称して、僕の作品や演奏の1つも聴かず、知らず、あるいはペーパーや書籍なども1つも読まず、何か勘違いしてやって来る人もあり(こういうケースは非常に頻繁にあることで)、すべてスルーさせてもらっています。
誰でもいい、大切と思う人に会うのだったら、つめの先程度でもいい、準備してから本人に連絡したり、アポイントメントを求めたりするものでしょう。
僕など、対談の話が来てお受けすることにしたら、手に入る限りの著書は一通り目を通して、メモなど見ずにもお話しできるようになってからでないと、恐ろしくて人に会えたものではありません(まあ、お目にかかる相手がスティーヴン・チューとかアマルティア・センとか、大きな仕事をした人であるケースが多いからでもありますが)。
・・・って、実はいまここで、前回今回とお話ししたことの実例を、お目にかけているわけです。誰か大切な方とお話しすることになったら、その人について必要な、手に入り得る限りの資料に目を通して、ソラでも言えるようになってから会う。こういう習慣を身につけたのも、実は音楽の仕事で叩き込まれた基礎にほかなりません。
これ、ビジネスだって同じことではないでしょうか?