大切な得意先に会う、というとき、相手の情報を全くスキャンしていかないで、仕事の話で僕のところに来る人がいます。僕の本で興味を持って、音楽無関係に来る仕事を100%お断りするのは、こういうところに由来するわけです。

 そんなことしなければ、もっと売れてお金は儲かるかもしれませんが、本来の音楽の仕事ができなくなりますので、謝して一切お断りするわけですね。

 あるいは、何か情報を調べても、上の空だったり、メモやらノートやらひっくり返して、ちっとも身についていない人。

 これじゃ、かえって逆効果でしょう。

 僕の場合、こういう「仕込み」は、指揮者の修行で叩き込まれました(特に、本当に細かな所作、一挙手一投足まで教えてもらったのは、アシスタントとしてお導き頂いた大野和士さんに負うところが絶大でした)。

 指揮台の上で、必要なことを把握してない、なんて、問題外ですが、仮に分かっていても、楽譜首っ引きで、腰を折ってちまちま調べてたら、その瞬間、どれだけの楽員が「こいつ分かってねーな」と(仮に誤解であったとしても)信頼感を失うことか。

 「一通りの完全暗譜、体に叩き込み、反射神経で処理できるところまでマスターしておくこと」

 そういう最低限の癖をつけてからでないと、人前になぞ恐ろしくて、とても台に乗るなどということはできない。

 逆に言うと、1つ仕事を引き受けるということは、膨大と言っていい分量の、小さな準備に、相当の長さの時間と労力を食う、という認識の下、自分のキャパシティで可能なものは引き受け、そうでないものはお断りする、というモラルをも、求めているわけです。

 そして、こういう「きちんと準備する」という「問題設定」もまた、筋の良い方法を、優れた師匠や先輩から伝授してもらうこと、つまり、

 「優れた師や先達と出会い、筋道の良い問題設定を知ってそれを身につける」という基本そのものにほかなりません。

 こうした一の一、決して学術や芸術だけでなく、人間社会の非常に多くの局面に、共通するものがあるように思います。

 さて、では「良い師や先輩に出会い、筋の良い問題設定も知った」としましょう。でも、これって、正しい入り口に立っているか? というだけで、実際にそこから先に進むのは、自分自身の足であるはずです。

 どうすればいいのか・・・といったところから先を、次回に考えてみたいと思います。

(つづく)