那須の与一が打ち落とした「扇の的」の逸話はよく知られています。今回はここから「狙い=ターゲティング」と「方法=ソリューション」について考えてみたいと思います。
屋島の戦いと「扇の的」
大河ドラマ「平清盛」は、清盛が主人公ですから、彼が没した後の「平家物語」のストーリーは描かれないかもしれません。
「屋島の戦い」は平家物語の中でも大詰めに近く、そのあと壇ノ浦にて一族滅亡の悲劇で幕を閉じます。那須与一が活躍する「扇の的」の逸話は、平家物語全体の中でも最大の見せ場の1つと言っていいでしょう。
物語を振り返っておきます。源義経率いる源氏の精鋭と迎え撃つ平家の大群、戦いの全体像は別の機会に譲りましょう。
昼間の激しい戦いが一段落した夕刻、両者が睨み合う中、貴族趣味が目印の「奢る平家」は美女の乗る一艘の船を仕立て、両者が睨み合う間の海に漕ぎ出させました。
小船の上には、棹の先につけられた赤い日輪の扇が1つ。この扇を的に射落としてみよ、という平家側の源氏への挑発行動です。
大将義経はまず、弓の名手畠山重忠に射手を命じますが、これを射落とし損ねては源氏の名折れ、より弓に優れた下野国、那須の十郎を代わりに推薦します。
しかし那須十郎も戦いで得た傷が癒えずコンディションが十分でないとして、自分の代わりに弟の与一を推薦します。「与一」とは「十にあまって一」つまり11男ということですね。昔のことです、多産系だったようですね。
まあ、言ってみれば重い業務を押しつけられそうになり、たらい回しの末に責任を引き受けることになってしまった十一男の与一君。こういう局面は21世紀の日本にもいろいろありそうですね。
ここであれこれ考えず、よし、ひとつバカになってやってやろう、とココロを決めたのが男度胸というものでしょう。