どうして特定の学派からノーベル賞受賞者が出るのか?
答えは非常に明確で、
「ノーベル賞で評価されるクラスの大問題に、きちんと答えを出しているから」
と言うだけのことに過ぎません。別段コネで賞が出るわけじゃない。まず、解けば確実に絶大な意味を持つ「問題そのもの」に、ピタリと照準が当たっているか? 否か? そこがそもそもの出発点になるわけです。
「これを解けば確実にノーベル賞の2~3個は降ってくる」という第一級の重要な問題、それ自体をきちんと設定できているか? という部分、これが世界各国で、しばしば怪しい現状があります。
別段ノーベル賞など、ただの賞ですから、どうでもいいと言えばいいんですが、とりわけ自然科学系の3賞では、国際的にこれは重要と認められた、確立された大問題が問われ続けています。
落ち着いた歴史的な科学成果というのは、山師みたいに「よっしゃ、どっかで一発当てたろか!」と狙うようなものでは、全くありません。
そうではなく、落ち着いた科学の積み重ねの中で、多くの先達が取り組み、あるいは成功し、あるいは失敗してきた問題群の中で、これが解決できれば画期的、といった重要な課題のターゲットが、実は非常に多くすでに存在しているわけです。
例えば日本あたりで、ちょっと科学の心得がある、という人が「よおし、ひとつノーベル賞級の業績を上げてやろう」(あるいは「上げさせてやろう」と予算措置するお役人や政治家も含め)なんて考えても、なかなかそうはいかないのは、ピントが外れているからです。
どういう事柄が問題になっているか? それをどう解決すれば、どの程度のインパクトがあり、どれくらい学界や社会全体にプラスの影響が出るか?
すべて、具体的にきちっと分かっている人が、優れた仕事をしています。