民主党政権になって1カ月半が経過した。

 政治も国民も、早くも難しい選択に迫られている。社会を大きく変化させようとしているのだから、当然と言えば当然である。民主党を選んだからには遅かれ早かれそうなるのは分かっていたのだが、国民も、そしておそらくは政治家自身も、「いざ、やる」となるとそう簡単ではないことに気づき始めたようだ。

 次々とテレビのニュースや新聞で報道される難題の数々。八ッ場ダムの建設中止、高速道路の無料化、子ども手当、普天間基地の移転・・・、すべてが簡単には答えの出ない問題である。

 今回は、これらの問題をどうすれば解決できるのかを考えてみたい。政治家や多くの関係者がさんざん頭を悩ませている問題なのだから「簡単に解決できるはずがない」と思われることだろう。

 もちろん、現実的に解決するのは大変である。筆者は哲学者なので、ここではあくまでも哲学的に問題解決の糸口を考えてみたい。「哲学的に」とは、「そもそもどういうことなのか、なぜか」を根源までさかのぼって考えていくことである。

政治的判断の「基準」を見直すべき

 さて、民主党が直面する問題について、どうして簡単に答えが出ないかというと、利害が対立するか、もしくはお金がかかるかのいずれかだからだ。

 利害が対立する場合には、何を基準に判断すべきかを決めればよい。また、お金がかかるという場合には、優先順位を考えればよい。ここでも結局優先順位を判断する「基準」が必要になる。

 要は、誰も反論できないような基準を設定し、それに基づいて判断していけばいいのである。

 だが、問題はその基準だ。これまでは官僚や有力な政治家、そのバックにいる有力な団体などが基準を作っていたのである。

 ところが、それは国民の生活を良くするためのものではなかった。むしろ、苦しめられる国民がたくさん出てきた。その結果、国民の思いが政府からどんどん乖離していき、民主党が政権を取ることになった。

 ここで、そもそも政府とはなぜ存在するのか、という根本に立ち返る必要がある。政府は、国民の生活を守り、向上させるために存在するのだ。よって、本来、政府は国民を基準にして政策を判断すべきなのである。いわゆる市民目線だ。極めて当たり前のことである。私たちは政府に、専門家の目で判断してもらいたいとは思っていない。官僚に数字で計算して決めてほしくはないのである。