実は、今回がこの連載の最終回だ。この1年、2週間に1回のペースで書いてきたが、振り返ると「まちづくりの哲学」というタイトルの割には、政治の話が多かったような気がしている。
理由はいくつか考えられる。政治とまちづくりは不可分だし、政権交代のあった激動の年であったことも確かだ。しかし何より、私自身が公共哲学、政治哲学の研究者として、政治に関心があるのだ。とりわけ政治家という職業に強い関心がある。そこで、最後はずばり政治家の話を書きたいと思う。
マックス・ウェーバーの著書に『職業としての政治』という名著があるが、そこには、職業として政治を行う場合には、政治のために生きるか、政治によって生きるかのどちらかがあると書かれている。政治のために生きる・・・、それはすごいことだと思うのである。
私だけでなく、とにかく今は多くの人が政治に関心を持っている。その証拠に、政権交代以降ニュースの視聴率が高くなったという。「政権交代」は、流行語大賞に選ばれたほどだ。もともとその素地はあった。小泉純一郎氏のようなテレビ向きの政治家が首相になり、劇場型政治を展開してきたのだ。
人々はワイドショー感覚、あるいはドラマやバラエティーを楽しむ感覚で、小泉劇場を楽しんだ。それに伴って、「TVタックル」などのゴールデンタイムの政治討論番組も人気を博した。そこで活躍した政治家の中には、その後閣僚になった人もいる。
視聴者にしてみれば、バラエティー番組でひいきにしていたあの人が、そのまま今度は政治のニュース番組で活躍しているようなものだ。そりゃ注目するに違いない。
もちろん、このようなテレビの影響だけではない。景気が極端に悪化し、職がなくなり、社会保障が不十分なため、現実の生活のためにいやが上にも政治と密接にかかわらざるを得なくなっているということもあるだろう。直接自分に影響を及ぼすあの政策がどうなったか、日々進捗が気になるというわけだ。
政治家とはどんな人たちなのか
ところで、政治家の仕事とは一体何なのだろうか。「政治」という営み自体が、利害関係の調整を意味しているのだから、もちろんそれをやるのが政治家の仕事に決まっている。私たちの身の回りには様々な問題があるので、それを解決するためにきちんとルールを作って、皆が衝突しなくていい社会をつくる。その作業を先頭をきって行うのが政治家なのだ。
選挙の際、「皆さんの声を国会に届けます!」そう叫ぶ政治家を目にすることは多いだろう。そうなのだ、政治家はみんなの代表なのだ。
政治家が尊敬されるとすれば、先頭をきってみんなの問題を解決しようと行動する姿勢があるからだ。そこに私欲は感じられない。公益のため、私生活やプライバシーを犠牲にして、時には身の危険を冒してまでも、自ら正しいと思う主張を訴える。相手が巨大な企業であろうと、権力であろうとおかまいなしだ。