「市民参画」という言葉は今や常識になりつつある。行政に市民が積極的に関わっていくことを指すわけだが、「えっ? 何で市民が?」という人はもはや少ないだろう。
とりわけ国や地方の財政が赤字であることが大きく報じられ、自治体が破綻するような事実が明らかになって以来、市民参画は文字通り「市民権」を得た。
市民参画には2つの意義があるように思う。1つは、行政の役割の一部を市民が担うという側面。もう1つは、行政の仕事を市民が監視するという側面である。
ただし、広い意味では後者は前者に包含することができる。つまり、監視するということは、チェックという意味でその仕事の一部を担っているとも言えるからだ。
したがって、市民参画といっても、単に市民に情報公開をするだけの消極的なものから、共に計画を策定するといった積極的なものまで幅広い。アンケート、フォーラム、市民説明会、ワークショップ、審議会・・・。中でも一番多いのは、パブリックコメントに代表されるように、行政の計画に対して意見を寄せてもらうものだろう。インターネットが普及したこともあり、参画の方法としては最も手っ取り早い。
形骸化と義務感のスパイラル
とはいえ、こういう形で集めた市民の意見は、実際には参考にするだけで、なかなか採用されるには至らないものである。それゆえ、アリバイやガス抜きに使われることが多いのも事実だ。行政にしてみれば、一応市民の意見も「聴いた」上で決定した、と主張できる。
市民参画は、どのような形を取るものであっても、この形骸化が問題になっている。本来はもっと積極的に市民の意見を実現していくという姿勢が必要なのだが、そこはまだ行政側のマインドが十分に醸成されていないように思われてならない。
「仕方ないからやる」「手続きとしてやる」。残念ながらそんな声が聞こえてくることさえある。これでは形骸化と義務感のスパイラル状態に陥ってしまうだろう。
もちろん、意見を聴いた上で採用しない場合には、それなりの理由が求められる。その意味では、採用されないとしても、少なくとも行政の案に問題がないことをチェックする機能は果たしている。だから大切なのは、せっかくある機会をいかにうまく活用できるかということになってくる。