イチローが活躍する、大リーグのシアトル・マリナーズ。チームを率いるドン・ワカマツ監督は日系4世だが、日本語を話せない。
多くの日本人が移り住み、シアトルの歴史の一部を形成してきた事実を踏まえれば、日系人がこの街で大リーグの監督を務めることには野球を超えた意義があるのではないか。そう思い立ち、ニューヨークからシアトルまで米国大陸を横断してきた。
シアトル市街から、観光名物として知られるワシントン州営フェリーに乗船。ピューゲット湾の眺望を十分に楽しむ間もなく、30分ほどでベインブリッジ島に到着する。
ここは、日本と結び付きの深い島だ。現在も多くの日系人が居住しており、島の中心部を歩くと「日本人の顔」をした人々に出会う。日系人の漁師が殺人容疑で逮捕される・・・。デイヴィッド・グターソンの小説『殺人容疑』(講談社文庫)の舞台となった場所である。
この島に住む米国人の友人から、「ベインブリッジ島に来たことがあるか」と尋ねられたことがある。「あるよ、米国に住む日本人として行かなきゃいけない場所だから」と答えると、彼はそれ以上何も言わなかった。
日本人は「敵性外国人」、強制収容所に隔離
ベインブリッジ島における日本人の歴史を記録・保存しているベインブリッジ・アイランド・ジャパニーズ・アメリカン・コミュニティーによると、日本人が最初にこの島へ到着したのは1880年代のことだ。
その多くは労働者として仕事に就き、徐々に農業にも従事するようになる。やがて祖国から妻を呼び寄せ、移民は家庭を築く。日本人学校が設立され、島には日本人のコミュニティーが生まれた。
1941年の真珠湾攻撃、太平洋戦争の勃発と同時に、ベインブリッジ島に住む日本人の生活は急変した。日本人は「敵性外国人」――。反日感情の高まりとともに、外国人を隔離する大統領法令9066号が署名された。その結果、米国内の日本人と日系人約12万人が強制収容所に隔離、この島の日本人居住者が強制立ち退き第1号になった。
1942年3月30日、ベインブリッジ島で立ち退きを命じられた227人の日本人は、船でシアトル市内へ移送された。シアトル市内に連れてこられた日本人一行はユニオン駅から列車で南下し、アイダホ州などの強制収容所へと向かった。列車に乗り込む「敵性外国人」を一目見ようと、野次馬がユニオン駅の高架通路に群れをなして集まったという。
日本人を収容所へ送り出したユニオン駅は、今日もほぼ当時のままの状態で残っている。駅から南へ向かう線路は、現在のマリナーズのホーム球場、セーフコ・フィールドのすぐ東を走り、長距離列車アムトラックや貨物列車が頻繁に往来している。