中曽根康弘氏はまだ総理の座に就く前、クルマで移動しがてら持ち込んだテープを聞いていた。音源は秘書に探して集めて来させた古今東西リーダーのスピーチである。犬養毅、吉田茂、チャーチルやルーズベルトに加えてフランス語だがド・ゴール将軍の戦時放送などもあったという。
世界のリーダーの演説を研究していた中曽根康弘氏
なぜそんなものを聞くのか。問われた中曽根氏はこう答えた。「一国の宰相ともなれば、国民に向かって死地に赴けと言わねばならないときもある。総理の言葉とはそれだけ重い。日頃からの鍛錬が必要なのだ」と。
中曽根氏一流のスタイリストぶりであるとか、批評はいろいろにあり得る。しかし氏が危機の宰相となったときを心中に思い描き、そのための準備を心がけていたことだけは間違いがない。もしそんな総理を日本が持ち得ていたとしたら、「3.11」後の国柄はどれだけ違っただろうか。
そこで1つ、こんなスピーチが「あり得たかもしれない」という意味の、幻の演説草稿を考えてみることにした。情景設定は震災発生当日、3月11日の午後5時半過ぎ。総理官邸記者会見場である。願望を込めてなした創作であるから、事実関係との不突合など細部は大目に見てほしい。
日本国総理大臣
甲乙丙三郎氏
官邸記者会見場、2011年3月11日午後5時半
本日我が国を襲った地震と津波、そして原発の事故について、わたくしから申し上げようと思います。
しばし瞼を閉じ、犠牲になった方々へ、祈りを捧げなくてはならないところかもしれません。
が、わたくしは、いま敢えて、それをしようとはしない。
なぜならば、直ちに現場へと急行した勇敢なる自衛隊の将卒諸君、全国から応援の手を差し伸べるのに寸時の猶予すら置かなかった、警察、消防、海上保安庁の諸君、
なによりも、まだその消息すら明らかではありませんが、巨大な津波に洗われた自治体の人々が、ただいま、まさしくこの時間、必死の救援作業を続けているからであります。